読書の効用
読書を続けることで変わること
面接をしていると「この人は面白い」と思わずにはいられない出会いがあります。もちろん話題の豊富さとか話術の巧みさといった表面的・テクニック的な要素を否定するつもりはないのですが、ここで言う「面白い」はもう少し内面的なことにスポットを当てたいと思います。面白いものの見方だな、面白い考え方だな、柔らかい頭だな、もっと話したらもっともっと出てきそうだな…そんなワクワク感と言ったらいいのかもしれませんが、いろいろ聞いているうちに彼らにはいくつか共通点があることに気づきました。その一つが「読書歴」です。単に読書ではなく「歴」としたことには2つ意味があって、それは読書の「期間の長さ」と「質」が重要だと感じているからです。「期間の長さ」は、子供の頃から日常的に本を読むことが習慣になっているみたいなことです。大人になってから急に猛読し始める人もいますが、例え読書量が同じであったとしても期間の長さが確実に違いとなって現れます。理由は後述します。「質」に関しては、深さよりも広さがより物を言うと感じています。つまり特定の偏ったジャンルを集中して読む人も面白いのですが、多様なジャンルを得意不得意や好き嫌いなく(あったとしても)読んでいる人はより面白いです。その境地に立つ人は得不得意や好き嫌いに対して躊躇がありません。躊躇しない方が得するかも?楽しいかも?ということにうっすら気付いているという表現の方が正確かもしれません。では話していて何が面白いのか。少し例を上げてみますが、いずれも「すごい力を無自覚に使っている」というところに注目です。例えば、生い立ちやこれまでの職務経歴を話してもらうと説明が上手いです。上手いというのは冒頭で言った話術の巧みさということよりも、同じことをいろいろな言い回しで言い換えられる能力とでもいうのでしょうか、自分しか知らないことを説明する際に相手にわかるような表現を見つけ出してくれるのです。ワクワクします。こういう試行錯誤ができることはすごいことだと思うのですが、これがさらに頭のいい人や勘のいい人になると、専門性の高い話を詳しくない人にも一発でわかるくらい平易な言葉でさらっと説明しちゃうといった神技を見せつけられたりします。専門用語を容赦なく羅列されると眠くなっちゃいますけど、鮮やかに一発で理解させてくれるわけです。いやーワクワクします。また例えば、こちらが会社のことや業務のことを説明しているときに、自分の理解が正しいかどうかを確認したりより深めるために、つまり〇〇ということですよね?とか、△△で言うところの✕✕に当たることですか?と自分の言葉で言い換えた表現で質問をしてきます。これまたワクワクします。ピタッとはまる見事な表現に出会えるとさらにワクワクします。さらに例えば、これは全員ではありませんが、人生においても仕事においても、うまく行かないことに直面したときに適切に次の一手を打つことができたりしています。これは一つの方法や考えに囚われすぎることなく、柔軟に考え、臨機応変に行動できるということであり、別の方法が浮かぶだけの何かが自分の中に備わっているということだと思います。読書は本を通じて著者の考えの道筋をたどるという行為であり、それは自分にはない他人の思考回路を自分の頭に巡らせるということです。これは、これまで踏み入ったことのなかったヤブを進むようなもので、思いもかけない場所に連れて行かれるし、振り向けばそこに「けもの道」ができている、そしていつかまた通る日が来るかもしれない、そのときにはいつ通ったのかは覚えていない…そんな感じなのかなと想像しています。それから語彙の豊富さですね。当たり前といえば当たり前ですが、他人の文章には自分が知らない言葉や普段使わない言葉がイヤというほど使われており、それを常時インプットしているわけですからそれで覚える言葉も多々あるでしょう。ただ、面白いのはそこではないのです。多くの人が共通体験として持っているのが、しゃべっているとき突然いままで一度も使ったことのなかった言葉が口をついて出て、そんな自分にびっくりするという経験です。全く知らない言葉が出てくるわけはありませんから、どこかでインプットはされているはずです。おそらくいつぞやの「けもの道」で拾った言葉なのでしょう。ただし、その道がどこだったかは覚えていないし、その言葉を拾ったことさえも覚えてはいない、だからこそそんな言葉が口をついて出た自分自身にびっくりするというわけですね。最後にしておきますが、自分の理解が及ばないことに対する謙虚な姿勢が備わっているように感じます。これは、読書歴の「質」で言ったことに関係すると思いますが、特定のジャンルに偏らず多様なジャンルに躊躇がないという価値観にたどり着く過程で、興味が湧かないのはその面白さを知らないだけで知ったら面白かったので興味が湧いた、という思い出が少なからずあることに起因しているわけです。これが実際の生活や人生の場面でも発揮されると、本人の成長を大いに後押しするという成功体験が生まれやすくなりますが、そういった姿勢は一朝一夕に身に付けるのは難しく長年に渡る蓄積によって定着していくのだと思います。いろいろ挙げましたが、冒頭に言ったように本人はこうしたすごい能力に無自覚であることもまた特徴的です。言われてみれば確かにと思うけど、言われるまで自分にそういう能力が身についているなどとは気づかなかった、本人はただ好きだから本を読んでいただけのこと。がんばって覚えた単語をがんばって使うといった自覚的な行動による自覚的な能力獲得とは全く違う、極めて無自覚に獲得されたものであるというところが非常に面白いと思います。回答です。読書は、新しい知識と出会えることに加えて、未知の視点や思考方法や思考回路を体感できるというメリットがあります。他人(著者)の視点からものを見るということは、同じものを見ても全く違う見え方をする、つまり物事には多様な捉え方があることを知るということ。他人(著者)の思考方法でその思考回路をたどるということは、自分の頭のまだ足を踏み入れたことのないところに「けもの道」ができること。多様な本を読むことで、独力では通すことができるはずもなかった「けもの道」が頭の中に縦横無尽に張り巡らされること。長年に渡る読書の過程で、はからずもかつての「けもの道」と出くわすことがあり、あれ?こんなところに道が…ここ前にも来たことがあるかも、などという経験をすること。その度にその「けもの道」は太くなり、たまに通る道、日常的に使う道となり、こうして多様な見方や考え方ができるインフラが整っていく、そういうことかと思います。使ったことのない言葉があるとき口をついて出るという不思議な出来事は、こうした自覚できない世界が存在していることの裏付けなのだろうと思っています。