独自の

独自とは

法律というやつを勉強しています。さて、みなさんは「独自」という言葉を聞いて、いいイメージを持ちますか。
通常は、「独自の研究」「独自の技術」「独自のブランド」など、いいイメージで用いられることが多いように思います、この、独自の、という言葉、法律家の世界ではとっても残念な使われ方をしています。残念〜。NYサムライかよ。
同じく、通常の一般社会的な言い方では、「独自の発想」という言葉も、いい意味で用いられることが多いです。
これも、法律の世界ではダメ出しのセリフです。一片の慈悲もない全否定の言葉なのです。選挙にいう、あの独自の戦いという泡沫候補と同じような響きです。
判決に用いられる常套句に、「所論は、控訴人『独自』の考えであって採用できない」と用いられることがよくあります。ていうか我々法律学徒にとってよく見る最高裁判例など、圧倒的にこの手の否定的な意味で用いられることのオンパレードです。
法律の世界に「独自」はいりません。必要ないのです。妥当な結論でないから。
ある人の考えが「独自」で終わってしまえば、「単なる変わり者の独りよがりの意見」で終わってしまいます。
自分の考えを、裁判官や他の弁護士に理解してもらい、多くの裁判官や弁護士が、その考え方に賛同してもらわないと、意味がないということです。裁判とは、裁判官の心情を奪い合うどこまでも残酷な知的ゲームなのです。
ある意見が、多くの下級審裁判所で採用され、そしてついには最高裁の判例になれば、その意見に「お墨付きを」をもらったということになります。
ある意見が、わずかの「下級裁判所」でしか採用されず、最高裁が「独自の考えにすぎない」として排斥するようなら、全く意味はありません。残念〜。NYサムライ。しつこい?
一般の人が裁判書そのものを見ることは少ないと思いますが(判決裁判所の用意した要旨はマスコミで報道されます)、法曹界にいる人、特に弁護士は、「独自」と言う言葉を書かれると「ぞっ」とします。
また、相手の主張が「独自の考えであり、誤りである」と書かれると「ほっと」します。

所論は独自の意見であり、採用できない。

法の番人、優秀な中のさらに優秀でこんなことばっかり日々考えている変態能力お化け、そんな狂った碩学ども15人の心情をどうしてつかむのか、次の機会にお話しましょう。最高裁判所裁判官。

つづく