小説上杉鷹山(上)

改革のためにまず自身の変革を要求する

<本文から>
治憲は目の前に居る連中を見回した。
「あり体にいって、おまえたちは米沢本国の人間から、すべて色目でみられている。おまえたちに対する本国の人間の見方は、片寄ってはいるが、ある面で真実をいい当てていないとはいえない。もちろん人の世の中は、何をいっているかを大切にすべきであって誰がいっているかは問題ではない。しかし、人は悲しいものだ。必ずしも理屈通りにはいかない。やはり、誰がいっているかによって、大きく左右される。そこで頼みがある。おまえたちも少し自分を変えてほしい。貼られた色目の紙を片隅でもいいから自分で剥がせ。つまり自分を変えてほしいのだ。そうすることによって、頑な本国の連中もおまえたちに対する見方を変えるだろう。見方が変わってくれば、おまえたちがこれから作る案が生きてくる。ああ、あれほどかれらは変わったか、変わったかれらが作った案ならば、少しは読んでもためになるだろう、どれ、というようにおまえたちの作った改革案旨をとめるにちがいない。今のままでは、恐らくおまえたちがどんなに良い案を作っても、本国人はそっぱを向いてしまうだう。一顧も与えない。それが私は残念だ。だから、藩を変えるためには、藩人が変らなければなない。その藩人の中にはおまえたちも入る。もちろん、おまえたちだけに変われというのではない。私も自分を変えていく。つまり、自己変革は藩の変革のためにまず成し遂げなければならない藩人の義務なのだ。この点良くわかってほしい」
この治憲のことばをきいて、木村高広は、密かに心の中で、
(何をいっているのだ。悪いのはわれわれではなくて、本国の人間だ。まず本国の人間が自分を変えなければ、俺たちがいくら変えてみたってどうにもならない)
と思った。
その木村のきもちは敏感に治憲にわかった。治憲はこういった。
「おまえたちの中には、すべて悪いのは本国の人間であって、自分たちは少しも悪くない。したがって、まず変えなければならないのは本国人である。そうしなければ、いくら江戸にいる連中が自分を変えてみても、何の意味もない、と思う人間もおろう。しかし、それは堪えてほしい。それにこだわると何事も進まない。そしてそれにこだわることは、誰か大切な人々を忘れていることになる。誰か大切な人々とは、年貢を納める人々のことだ。私たちの生活の資を生み出す人々のことである。そういう人々の存在を忘れて、私たちが私たちの考えだけで争うことは、何の意味もない。だからまず気づいた方から自分を改めるより他に方法がないのだ。辛いことはよくわかる。しかし堪えてほしい。江戸の方から自分たちを変えて本国に乗り込んでいこうではないか」
先制攻撃を受けてしまって、木村の心中は決して穏やかではなかった。しかし、一面、
(この若い殿様は、なかなか侮れない人だ。若いくせに、良く人の心を見抜く。これは、案外大物かも知れないぞ)
と、思うのであった。そのことを思い出して、木村は、いま改めて、さっきの治憲のことばをみなに告げたのだった。

以上