英彦山神宮
修験道の山
(2020/01/13)英彦山神宮の上宮まで登って新年のお参りをしてきました。
おはようございます。
2020年1月13日の、下界の世間は成人式で忙しくしているであろう、今年最初の三連休最後の日の配信記事です。
久しぶりに冷え切った日の中、思い立って英彦山に登って来ました。
英彦山は、継体天皇の時代に開山されたという、日本で一番高いところにある神宮でもあり、英彦山神宮は、かつては神仏習合の修験道の聖地として、もの凄い勢力を誇っておりました。
その偉容は、登山口にあたる堂の鳥居から、下の奉幣殿、そして英彦山中岳に鎮座する上宮まで真っ直ぐに続く、石畳で整備された参道に見ることができます。
英彦山は、古来、筆者が推定するにおそらく邪馬台国といった九州連合国が成立する前から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新で吹き荒れた神仏分離令により英彦山神社となりましたが、近年、昭和50年6月24日、ついに昭和天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
戦後は神社の日本としての国家管理は廃止されため、「神宮」号を名乗る際に勅許は不要となりました。
しかし現在でもなお神社本庁傘下において、「神宮」を公式な社号として名乗る神社は特別の由緒を持つものに限られています。
戦後、神社本庁に属する神社で「神宮」号を公式に称したのは、いずれも神社本庁の特別な承認を受けて改称した北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(旧伊弉諾神社・兵庫県)、英彦山神宮(旧英彦山神社・福岡県)の3社のみとなっており、この辺りにも、日本の当局の絶妙なバランス感覚を表していると言えそうです。
そんな英彦山ですが、筆者は高校の山岳部の合宿で多く登りましたが、その後は全く縁がなく、今回は実に四半世紀ぶり以上の登山でした。
最近は、スマホにダウンロードできるヤマップという地図ソフトを使えば、自分の位置情報含めて都度確認できるので、古い記憶を頼りに単純に登るだけでない山頂周遊コースを取ることができました。
さらに、気温が下がったおかげで、北西壁から登るところで樹氷や霜柱も見ることができ、満足のお参りとなりました。
また、時間を見つけて別の季節にも訪れたいと思います。
実は筋肉痛で足が上がらないという副作用ももらっておりませこちらからは以上です。
(2020年1月13日 月曜日)
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