(2020/03/29)リスクを適切にはかるということを考えてみます
おはようございます。
外出禁止を要請する、という通達が参りました地方中核都市に住んでおります筆者です。
事実上、交通機関を利用しての移動が制限された現在、外出は極力しないことにしたうえでの、頼みの移動手段は、①徒歩、②自家用自転車、③自家用自動車、④シェアサイクルといったところになりそうです。
②の自家用自転車については、③の自家用自動車のラインナップに積める折り畳み自転車の購入を検討していますが、いずれにしても、移動に制限がかかることは今後も長く続くでしょうから、状況に応じて備えておこうと思います。
また、すでに保有している②自家用自転車についても、後ろにつける「カゴ」を取り付けて、これでフロントのカゴも合わせるとスーパー等での日用品や食料品の買い出しもある一定以上できるようにしておきました。
すでに、15年以上使い続けているブリジストン製のいわゆるママチャリで、重量が重いのが厳しいところではありますが、丈夫で長持ちしていますので、このままコロナウイルス感染症対策の世の中にも一緒にお供してもらおうと思います。
さて、少し大きな話をします。
ざっくりと、今の日本人の総人口を1憶人、平均寿命を100歳として、人口ピラミッドの「高齢者寄り」は無視して各世代が均一に分布していると想定しますと、1年間における死者(生まれた人との入れ替わりと考える)は1憶人の100分の1である、100万人に近しい数字となります。
すなわり、1日に換算しますと、実に3,000人もの方々が亡くなっている、そしてこれが普通であるということになります。
もちろん、出生率の問題はありますが、亡くなる方もおられれば、生まれてくる子供(赤ちゃん)もいますので、この数が同数程度になれば人口減少にも歯止めがかかると思うのですが、一旦生まれる人の話は横に置いて、死ぬ人が日本全国レベルでみると、1年間で100万人、1日で3,000人いるということはわかってもらえたと思います。
さて、そんな中、この新型コロナウイルス感染症で厳戒態勢の中、例えば、曽祖父がなくなったんだけど祖母たちが盛大に葬式する!大人数集めて食事会!と張り切っているような状況がそこらかしこで巻き起こっています。
若い人は、「長生きしたのはめでたいことでありますが、しかしながら、葬儀は新型コロナウイルス感染症の予防の観点からも最小限の家族葬にしよう」ときわめてまともなことを言うのですが、年寄り達(新型コロナウイルスに最も弱いとされているのがこの高齢者で既往症(特に肺に関する)を持たれている方もしくは喫煙している方)は、「気にしすぎだ」などと聞く耳を持たないのです。
この、「葬儀」イベントには、亡くなった曽祖父の嫁の兄弟の嫁、みたいな、もはや親戚家族と言えるのかどうか怪しい、完全他人レベルの血のつながりもない、単なる集まりたいだけの年寄りが関東や関西から新幹線で来るようで、こうやって、新型コロナウイルスに限らず、感染症というものは、こうした人間社会の本能、宿痾みたいなもので広がっていくのかと半ば諦念、呆れてしまう事例があります。
実際、現在の70代のみなさんは、実際お元気で自分たちのことを年寄りだとは思っていません。
年寄りではなかったら、生涯現役ということで、きちんと社会に出て働いて、GDPなり税収に貢献してもらいたいと思うのですが、そちらのほうは適当に、それでも余生を楽しみたいというだけでは、あまりにこれからの人生が長い若い世代、これから子育て、の世代に対して申し訳が立たないのではないかと思います。
感染を広めるのに、若者も年寄りも関係ありません。
くだんの葬儀の件ですが、責任ある世代として、孫やひ孫の世代としては、葬儀は火葬だけ参加して食事会は参加しないことにした、という旨を伝えると「不幸者。家族の絆を大事にしろ」と詰られるという、笑えない結末だったということで、これは、絆、命、家族を守りたいからこその行動であることが、くだんの年寄りにはまったく理解してもらえないことの証左であるようです。
セレモニーというものは、個々人によって思い入れが違うものですから、葬儀であっても卒業式であっても、その存在に特別の思い入れを持つ人はいるわけです。
しかしながら、卒業式を短縮してはっきりわかったのは、卒業式という式典はさっと終わらせて、窓を全開にした教室のホームルームで最後の卒業証書を渡したり記念撮影をしたり、その後は校庭やピロティに出て、解放空間の下でお互いにこれからの進路のことなどを自由に話し合うようにして時間を過ごしたほうが、式典をはるか長い時間拘束して行うよりはるかに有意義であろうということです。
来賓もたくさん呼べばいいですが、あくまで式は簡素に、そして式の後の校庭での懇親や連絡先交換の場でコミュニケーションをとればいいだけで、そもそもそのような場にいたくない、と考える卒業生や在校生の自由意思も尊重できて、みんなハッピーになれます。
さて日本における死亡者数の話に戻ります。
日本では毎年100万人くらいの方が亡くなっています。
そして、今回の新型コロナウイルスで亡くなられた方は、現時点で100人程度というところでしょう。
もし、仮にこの人数がパンデミックによる影響で100倍になったとしても、それでも1万人であり、交通事故死や自殺といった死者のレベルと同じ程度なのです。
もちろん、これは単なる統計上の数字の話でありますが、新型コロナウイルス予防による人間社会や経済への影響が比較にならないほど甚大になることは間違いなく、また人間の「教育機会(子供だけではない)」の損失や棄損など、個人的にはこだわりをもっているこうした教育的な問題点については、おそろしい犠牲が払われていると思うのです。
自宅待機によるストレスや虐待、犯罪といった痛ましい話も聞きます。
さて、世界の状況も悪化している中ですが、社会的には、そろそろリスクと折り合いをつけれないのかなと思っています。
毎年交通事故で何千人もの方が亡くなっていますが車が社会に必要なように、リスクと折り合うのです。
そして、今回の新型コロナウイルスは、基本的に風邪の亜種であり、肺にダメージを与えるものであるので、特効薬は見込めにくいのが厳しいところです。
ですので、COVID20も21も、その先もあることを想定して、このウイルスと折り合って人類は生きていかなければならないというわけです。
今回、非常事態制限において、これまで強烈に私権の制限に反対していた界隈のの人たちがいとも簡単にロックダウンとか緊急事態宣言!とか声高にハードルを下げて率先していることが、また興味深いところです。
大事なのは自分の戦い、と任じて自分の頭で考えて行動することだと思います。
こちらからは以上です。
(2020年3月29日 日曜日)