個人の見解であり実在の組織等とは何ら関係ありません

(2020/04/13)政府による経済的見返りのない自宅待機「要請」は「逆サービス残業」に等しい極めて日本的な制度だと感じる話です

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おはようございます。

2020年4月の配信記事です。

目下のところ、人類共通の敵はウイルスです。

なお、戦う相手としての敵という表現も正しくなくて、正確には人間同士の接触を緩慢にして適当にやりすごす、その時間稼ぎをしている時に根本的な治療薬であるワクチンなりの医学手段を見つけ出す、というのが取りうる唯一の戦略となっております。

ここに立ち戻ってみれば、あらゆる政府や公共部門に対する不満や要求は、ほとんど意味をなさないものになるのであり、いくら首相や地方自治体の長に文句を言っても仕方ないのですが(その首長や首相も結局国民主権の建前上、国民自らが選んでいるという構図です)、その上で、あえて公共部門ができることに限って考えてみることにします。

まず、政府が収入を保証せずに家にいてくださいとお願いして、法律上の根拠があるとはいえ罰則なしの「自粛」を求めるということは、国際的な考え方では、相当に無理な話です。

これを、日本独自の素晴らしい忖度ごっこであると前向きに捉える人もいますが、世界の常識では基本的にそんなのは、働くな、だけどもカネはやらん、という「逆サービス残業」に等しく、勤労の自由や外出、移動の自由に著しく反するわけです。

そもそも、言っていることが無理な要求なのです。

合理的に考えますと、政府が自粛を求めることで新型コロナウイルスの急速な感染爆発(オーバーシュートという)を防ぐことができるのであれば、少なくとも感染の広がりがある程度のレベルに収まってくれるのであれば、「お願いした」政府は国民が自粛することによる経済的な恩恵を受けることになります。

そして、それはある程度計算により求めることができるわけです。

その額を、今回のお願いは人が人たる故にお願いするものでありますから、お願いした国民の頭数で割れば、一人当たりいくらまでなら配ることができるかということは経済的に計算ができることになります。

新型コロナウイルスとの「戦い」「隔離」は、所得とか経済的地位とかには関係なく、人が人であることに関して完全に平等に関係している事柄であると言えますので、一律平等に政府が受ける恩恵を国民の頭数で割って、現金給付とすることが、完全に合理的であり衡平であると考えるのです。

諸外国は、統治機構としての国家が、国民の狭義の人権、すなわち安全とか生命の保証とか、そういった経済的自由の前の生存に関する自由について、まず守らないといけないと考えていて、今回の状況はすでに戦時中と同じように考えて、平時の緊縮財政とか私権の制限はしないといった「常識」は通用しないことをわかっているので、新型コロナウイルスとの戦いには、国のリーダーが旗を振って、強い言葉で国民に語りかけ、国民に対する警告を発しつづけてこの難局を乗り切ろうとしています。

この点、日本は残念ながら国家機構に平時の理屈である官僚機構がすみずみまで行き渡ってしまっており、加えて官僚を適切にコントロールできる政治家が選ばれにくいという状況が続いているのが難しいところです。

すなわち、現状の議院内閣制による国家統治の制度では、世襲議員と、官僚とお友達の政治家ばかりが権力の中心に近いところにいきやすい、という構造があるわけです。

この点、直接住民が選んでいる、地方自治体の長の中には、例えば大阪府とか東京都とか北海道とか福岡県といった、制限された権力の中でも頼れるメッセージを発して矢継ぎ早に策を打っている、そうした知事もいて、その点では期待が持てるのかもしれません。

さらに議論を深くしますと、この、新型コロナウイルス感染症の広がりを防ぐという取り組みを、経済の問題としなくて道徳感情と同調圧力で処理しようとしているところが、どうしても国民の総意を得られないところになっておりまして、外出して仕事しないと収入が得られない、暮らしていけないという話と、それはいけない、そんな仕事なんかして外出したらみんなが迷惑しますという同調圧力への働きかけをごちゃまぜにするので難しいのです。

そして、最後に、もっとも固定給が保証されている議員や公務員が自ら歳費の返上を申し出る、このような「動き」に期待したいのです。

国民にはお願いしておきながら、国家統治機構側は何も出さないのでは衡平さを欠くのではないか、という当たり前の論調です。

残念ながら、従業員を抱える会社の社長は、日々このような修行を行われておりますので、そんな極めて厳しい方々に比べますと、筆者など小さなものでありますが、それでも、従業員の雇用、生活、人生、そして家族に地域社会そのものを守っていこうと必死になります。

だからこそ、経営者や、責任者というものは、その立場がまたとない「修行」になるのだと思っています。

言いたいことを我慢して、原因は自分にある、自分のみが変わることができると自分自身に矢印を向けて、利他の精神で、踏ん張っていれば自然と魂が磨かれ、目線が高くなり、自然と落ち着きも出て人間としての次元が上がっていくものです。

最後は、結局自分次第、ということになりましたが、今回の雑談はこの辺にしたいと思います。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

こちらからは以上です。

(2020年4月13日 月曜日)

シンプルに暮らすという話をしました
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