憲法第9問
2022年8月17日(水)
問題
A県は、県民を受動喫煙から保護することを目的に、「公共的施設の受動喫煙防止条例(仮称)」の制定を検討している。この条例が規制対象とする施設は,娯楽施設や遊戯施設等、多岐に及ぶが、居酒屋、蕎麦屋、喫茶店(以下、「飲食店等」という。)のように、多数人が利用するにもかかわらず、形ばかりの分煙が行われているにすぎない施設があることが、条例制定の主要な動機の一つである。
条例案の作成に先立ち、A県の担当部局は、次のような(検討メモ)を作成している。
○国の健康増進法は、受動喫煙対策を努力義務に留めているが、単なる努力義務では不十分である。本条例では、飲食店等の利用者に禁煙を求めるだけではなく、飲食店等の管理者にも禁煙の表示、灰皿の撤去を義務づけたい。県職員に立入り調査権を与え、店側の違反が発覚した場合には、それに対して罰則を科すことにしたい。
○分煙では不徹底である。従来は喫煙に寛容であったヨーロッパでも、飲食店等を全面禁煙にする法律が相次いで制定されている。不十分な分煙では、禁煙席の利用者を受動喫煙から保護できないし、強力な空調設備を設置しても、従業員を受動喫煙から保護することができない。このため、店内を全面的に禁煙にし、たばこを吸いたい客には屋外で吸ってもらうようにするしかない。喫煙は、憲法で保障された自由ではないから、これを規制しても憲法問題にはならないのではないか。
[設問]
上記の条例が制定された場合に生じる憲法上の問題点について、①利用客との関係。②店との関係に分けて検討せよ。なお、規定の明確性および条例が国の法令の範囲内にあるかどうかは論じなくてよい。
(慶應義塾大学法科大学院平成21年度)
解答
第1 ①利用客との関係について
1 本件条例は、飲食店等の店内を全面的に禁煙することと規定しているため、利用者は店内において喫煙をすることができなくなることになる。そうだとすれば、本件条例は、利用客の喫煙の自由を侵害し、違憲ではないか。
2(1)喫煙の自由は、憲法上明文によって保障されているわけではない。
しかし、社会の変化に伴い、個人の尊厳を確保するために必要な権利を憲法上保障する必要がある。
そこで、13条の幸福追求権は、新しい人権を包括的に保障する規定と捉えるべきであり、憲法上明文規定のない人権も同条を根拠として認められ得ると考える。
ただし、そのような人権を承認する範囲を過度に広汎に解すれば、 既存の人権の価値が相対的に低下するおそれがあるので、人格的生存に不可欠な場合のみ、13条の保線の対象となると考える。
(2)本件では、喫煙の自由は意味・嗜好という領域に属するものにすぎないと考えられるから、人格的生存に不可欠とまではいえない。
したがって、喫煙の自由は憲法上保障されているとはいえない。
3(1) もっとも、憲法上保障されない自由を制約する場合であっても無制限の制約が許されるわけではなく、合理的な理由がなく、過剰な制約を課す場合には、13条前段が保障する個人の尊厳に反し、憲法上許されないと解する。
(2)本件条例には、県民を受動喫煙から保護するという目的を理由として、飲食店での禁煙を義務付けており、規制に合理的理由が認められる。また、店内での喫煙を禁止されるだけであり、屋外で喫煙をすることはできるのであるから不利益の程度も小さい。
4 よって,本件条例は、利用客との関係において合憲である。
第2 ②店との関係について
1 飲食店等の業の自由を侵害しないかについて
(1)本件条例は、飲食店等の管理者に対して禁煙の表示、灰皿の撤去を義務付けている。そして、飲食店等が利用客に対して喫煙を認めることは、営業の一環であり、職業の自由の態様として、22条1項によって保障される。
そこで、本件条例は、飲食店等の職業の自由を侵害し、違憲とはいえないか。
(2)ア もっとも、職業の自由も絶対無印ではなく、「公共の福祉」に 反しない限り制約は許容される(12条後段、13条後段)。では、本件条例の憲法適合性をいかなる基準を用いて判断すべきか。
イ 職業は、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものであるが、その一方で、社会的相互関連性が大きいため、殊に精神的自由と比して公権力による規制の要請が強い。職業活動には、種々の目的から立法府の合理的な裁量判断による種々の規制が加えられるため、規制措置の憲法適合性については、これを一律に論ずることはできないが、立法裁量には事の性質上、自ずと広狭がある。 そして、本件条例は店内において喫煙を禁止し、違反者に対して罰則を科すのみであり、職業選択の自由そのものに制限を加えるものであるとはいえず、職業活動の内容及び態様に対する規制にとどまるから、職業の自由に対する影響力が小さく、規制態様が弱い。
したがって、その憲法適合性は立法裁量を尊重し、緩やかに審査すれば足りる。
具体的には、目的が正当で、手段との間に合理的関連性が認められれば、合意であると解する。
ウ 本件条例の目的は、利用客・店の従業員を受動喫煙から保護することであり、これらの者の生命・健康維持に資するものであるから、正当である。この点に関して、利用客はともかく、店の従業員を受動喫煙から保護する点に関しては、別の店で働く自由があるのだから、行き過ぎた後見的な規制であって不合理であるとも思われる。しかし、それを理由として店の従業員を受動喫煙からの保護の対象から外せば、事実上、彼ら・彼女らの働く自由を大幅に制約することになりかねない。やはり、上記の目的は正当であるとみるべきである。
そして、手段については、分煙や空調設備だけでは、受動喫煙から利用者・従業員を保護することができない実態があり、店内を禁煙とし、灰皿を撤去させることは、受動喫煙を防止するのに最も効果的な方法といえる。さらに、一定の期間規定を設けることも実効性確保に資するものといえる。 よって、目的と手段との間に合理的関連性は認められる。
(3)以上から、本件条例は、22条1項に反しない。
2 本件条例が職員に立入り調査権を与える点について
(1)本件条例における県職員の立入り調査については裁判官の発する令状は要求されていないが、これは35条に反する可能性がある。
当該立入り調査は、行政手続の一環であるが、行政手続についても35条の適用ないし準用があると考えるべきである。35条は本来刑事手続を対象とするものではあるが、プライバシー権などの同条によって保護される人権は、行政権による捜索・押収の場合にも侵害さ れ得るからである。
もっとも、行政手続には多種多様のものが存在するから、令状の要否は、刑事責任の追及を目的とする手続であるか、当該制が刑事貴任追及のための資料収集の作用を一般的に有しているか否か、強制の態様程度如何、当該強制の目的は何か、目的と手段(強制)との均衡の有無等を考慮して個別具体的に判断すべきである。
(2)本件条例における立入り調査の目的は、店が禁煙指置を講じているか否かを調査する点にあり、刑事責任の追及を目的とする手続であるとはいえない。 しかし、違反が発見されれば、直ちに調が科されることになる点で、実質上、刑事責任追及のための資料の取得、収集に直接結び付く作用を一般的に有するものであるというべきである。
(3) したがって、立入り調査には令状を要すると解すべきであるから、 本件条例は35条に反し違憲である。
以上