(2018/09/09)プライベート時間で勉強しない人が勉強する人に仕事でも学習でも遅れていくことについての考察です

おはようございます。

2018年9月のプライベート時間の勉強に関するビルメン王(@shinya_ueda)によりますブログ配信記事です。

働き方改革と言われて久しくなりました。

といいますか、人口減のこの世の中においては、限られた人材を如何に生かすかということが大切なのですが、これはとりも直さず同じ人間が、家庭生活でも、介護の世界でも、地域社会貢献の場でも、そして当然会社や職場でも、期待される仕事や活動ができるようになることが必要であり、かつ、そうしたマルチタスクへの対応力に優れた組織でないと、組織や社会としてそもそも生き残っていけないということと表裏一体だと考えています。

そして、それは、教育という領域にも如実に反映されてきつつありまして、すでに、例えば「プライベートでは一切勉強したくない」などと言うのは通用しなくなってきていると筆者個人は断言します。

もちろん、社会人20年超を数え、昭和な感じの職場もたくさん経験し、いわゆるブラックな職場環境も随分経験してきましたが、職場がブラックなのか否かということとは全く関係なく、その社員が社会人として職業人として伸びるかどうかについては、ひとえにその人が、如何に自立し自立的に勉強を継続できるかにかかっていると言って過言ではありません。

もちろん、プライベートで一切勉強しない、それより貴重な人生の時間を有意義に使いたいという意見については、別段賛同はいたしませんが十分尊重できるものだと考えております。

それを超えて、例えば企業の経営者や管理職として、業務時間を超えて勉強しろだの業務のやり方を覚えろなどと口に出して言うのは、残業規制がここまで実質的に厳しくなっている世の中非常に危険なことだと思っています。

しかし、技術職にしろ事務職にせよ営業職にしても、一般的に社会人たるもの常に直近の社会情勢や最新の技術動向については学び続けていかなければ使い物になりません。

自分にとって充実した人生を送りたいと言うことで、業務時間外は勉強しないと宣言するのは、逆に人生を貧相にし棒に振っているのかもしれません(あくまで私見です)。

筆者も管理職として、基本的に部下の社員のプライベートには一切関与しません。

よってプライベートの時間を使ってスキルアップしなさいとは言いません。

そこは自由です。

その上で、その自由をどのように行使するのか、それは自分のスキルや技術を含んだところの自身の人間力を上げてもらいたい、その一点に尽きます。

遊ぶなら、きっちり考えてしっかり遊んで欲しいと思います。

だらだらするのはよくないと思います。

そして、勉強する社員と勉強しない社員がいたとすれば、おそらく下のようになると思います。

これは、法則ですから多少の例外はあるかもしれませんが、ほぼ全てこの原理に従うでしょう。

すなわち、業務時間だろうがプライベートの時間だろうが、

1 勉強しない人は勉強する人より仕事はできるようになりません
2 1の結果、勉強しない人は勉強する人ほど給料は上がりません
3 12の結果、勉強しない人は勉強する人ほど重要な仕事を任されません
4 123の結果、勉強しない人は転職も厳しくなってくるかもしれません
5 1234の結果、自分の大切な人生をしっかり生きることが難しくなってくるかもしれません

ということになるであろう、というのが、完全な筆者の私見ながら、現在の筆者が到達した思考の結果となります。

普通に考えますと、勉強しない人が勉強している人に勝つことは困難で、そして勉強しなくても全く問題ありませんが、その自身の勉強しないと言う選択の結果については、上記の箇条書きのようなところについて責任を取らなければならないだろうというだけの単純なことです。

やったことの責任をとる

ことより

やらなかったことの責任を取らされる

ことの方がはるかに容易です。

残業ゼロの超絶ホワイトな企業があったとして、それゆえ十分準備されているであろうプライベートな時間の使い方については、全く自由であり、どのように過ごそうとも本人の自由です。

しかしながら、いかなる時間の使い方をしたとしても、それはプライベートという完全に自身の最終決定権に基づき自己責任としてその結果はきちんと受け止めなければならない、というか如何にその結果から逃げようともなるようになってしまうことは当たり前のことです。

それは、決して会社のせいではありません。

そうした、本当に簡単な根源的なこともわからないようでは、社会人になる前に戻って教育しなおしてもらうことが必要なのではないでしょうか(繰り返しますがあくまで私見です)。

会社で研修する、その有無に関わらず技術や会社の業務や政治経済その他世の中の動き全般が好きで興味を持っている人は、業務時間だろうがプライベートだろうがどんどん自分で時間を見つけて勉強を進めます。

当然、時間の経過と共に勉強する人としない人との差は開いていきますから、「勉強しない」という選択をするならば、時間と共に周りに後れを取ることを受け入れられるか否かというところで人間としての選択が試されるということになります。

プライベートで勉強しないことが「悪い」と言っているのではなくて、その結果については受け止めざるを得ないがその覚悟なり諦念なりはきちんとあるか否かという話になります。

勉強と言いましても、別に1日何時間も詰めて勉強しろというわけではなくて、例えば通勤電車の中で1日行き帰り合計1時間の時間でも、立派な勉強時間に充てられます。

人生、何事も勉強だと思います。

勉強すべきということを繰り返して書きましたが、実は結構勉強は嫌いで、できればネットサーフィンしながらぷらぷらしていることの方が性に合っていると思っております適当な筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月9日 日曜日)

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