(2020/02/16)矢印を自分に向けるということ
おはようございます。
2020年2月の自分に矢印を向けるということについて考えたことを共有します。
また4月が巡ってきます。スポーツの世界でも、仕事の世界でも、4月は新しい開幕の瞬間であり、そして自分もまた一つ年を取るというわけですが、少し考えれば、そんな節目の時を迎えなくても、日々、人は年を取っているわけで、ずっと長く同じ組織や会社やチームにいたとしても、自分自身がずっと変わり続けていかなければならないということは、時の流れをただ感じるよりもっと積極的に取り組まなければならないことだと考えています。
不動産の業界でも、リモートワークやワーケーション、そしてシェアオフィスにシェアハウスといったものがトレンドになったかと思えば、ハイクオリティなオフィススペースの共用部たっぷりの作り込みとか、社内食堂は全て無料とか、それでも、大規模な災害や災厄(病原菌の蔓延)やオリンピックといった国家的行事の際には通勤緩和や健康維持のための強制的な在宅勤務といった、さまざまなトレンドが錯綜しているように思えますが、そのような「トレンド」が巡っていく中で、少しずつ螺旋階段のように上位に登って進化していく、そんな時代の大きな速い流れを感じています。
同じポジションや役割を与えられている、もしくは自己規定しているようであっても、日々刻々とになっているもの、期待されているものは変わっていっており、どうやって自分の軸を確立しながら柔軟に、より社会に貢献しうるように振る舞っていけるかということを真剣に考えるのが大事だと思うようになりました。
毎年4月を節目に、会社や組織や学校や大学には、新人や新入生という新陳代謝が起こり、同じ人でも部署やポジションや肩書きが変わり、そうして人々はいろいろな勉強をしながら絶えず変化していくわけであり、自分の周りの環境が全く変化しないなどということはなく、むしろ大変なスピードで変わっていくことの方が普通のこの世の中にあるからして、たとえ同じ組織や会社に長い時間所属してとどまっているにしても、常に新しい学びに触れているということを忘れずにいきたいと思います。
今の世の中は情報過多であり、自分以外の情報はひっきりなしに入ってくるように思われます。
その、他人や自分の外の社会のことに目を向けるのもいいですが、あまりにも過剰な外の情報ばかりに振り回されて、やれ有名人の醜聞や犯罪事象や、国際政治の不合理さとか、宗教戦争とかそういったどこまで行っても他人の行為の是非にいちいち熱を上げて唾を飛ばして論評するようなことが、一体どれだけ自分の身にになるのか、少し冷静になって考えた方がいいとも思うのです。
監督が、上司が、会社が、環境が、日本が、世界が、そして首相や官僚が、雰囲気や同調圧力や、そうした自分以外の他者に責任を向けることはたやすく、そして一時のうさ晴らしにはなるのかもしれませんが、一度、ベクトルを完全に、明確に、細大漏らさず「自分自身」に向けてみた場合、そのほとんどの批判や言い訳は、自分自身にも向けられるべきことではないかと思うのです。
自分のできることに集中すること。
自分ではどうにもならない他者の、世界のことは極力考えないこと。
しっかりマーケットや環境を「直視する」ということはとても大切ではあるけれども、それらに対して自己の思うところをぶつけるだけでは、他者は全く変わらないということなのです。
他者を変えようと無駄な行動を続けるよりもまずは自分自身が変わること、これが複雑になった情報過剰なこの世界を、軸をぶらさず生き抜くためのほとんど唯一の、確立された方法論だと思いました。
というのを一応の結論として、この記事は唐突に終わります。
「批評は十分、でお前はどうなのよ?」と自らに問い続けていきたいと思います、こちら筆者からは以上です。