新型コロナウイルス感染症予防を目的とした緊急事態宣言の本質は日本人特有の相互の強い「同調圧力」であることを知っておくべきだという話をします(2020/04/08)

商業施設も休業

おはようございます。

未曽有の新型コロナウイルス感染症防止の観点から、緊急事態宣言が東京神奈川埼玉千葉大阪兵庫福岡の7「都府県」に発令され2020年4月8日午前0時より適用となりました。

今回の、日本の非常事態宣言に基づく措置に罰則等を伴った強制手段がないのは、措置違反に対する「公表」による当該名指しされた施設や事業者の評判低下やそれに伴う今後の経済的損失や村八分の可能性を各民間経済主体(個人も法人も団体も含む)がより合理的に見積もって自らの判断で(経済)活動を自粛する、すなわち周りの目を気にする日本特有の性質、いわば強い社会的同調圧力に依拠したものであるという本質をよくとらえていないと正しい理解を見誤ります。

日本以外の諸外国のように、誰にでもわかりやすい罰則等の国家権力の発動や強制力を伴うより、情報を正しく周知させ、民間人にも公的な立場の者にも、目的を明確にしてそれぞれが考える、という風に持っていきたいという日本社会の古来からの公理である「和を以て貴しとなす」という特性が大きく出ています。

すなわち、この日本列島に生きている我々は、かつて聖徳太子(令和の今においては実在すら疑わしくなっていて昭和生まれの1万円札で慣れ親しんだ者としては悲しいですが)が定めた憲法十七条の最初に謳われている、「和を以て貴しとなす」、すなわちみんなが同調する(和する)ことが何よりも、正義とか人権とか権利とか統治機構としての国家などよりもよほど大切な国体なのだ、という日本古来からの考え方に、無意識ながら今でもしっかりと依拠して日々暮らしているのだということです。

これは、公権力による強制力を発動するよりも、より個人、民間主体に対する、国家権力による制限をできるだけ行わない穏当な手段を採用しているわけで、本来国民主権の建前から、憲法を定めて国家権力を監視し制御するという国民国家の構成員としての国民側としては、非常に歓迎すべき類のことなのですが、抜け駆け的な経済活動を相互監視のもと、情報を公開しつつ制御するというのは、陰湿なリンチ(私刑)に頼った方策でもあるとも言えます。

まあ、国民国家とか市民革命とかいう前から、和を以て貴しとなすで運営してきた日本の社会のほうがずっとずっと古いので、後から出てきた世界の国民国家の考え方など、特に無視しても構わない、というのも道理です。

そして、今後この緊急事態宣言の発令後に起こる悪いことを想像するに、要請や指示にもかかわらず営業を継続している事業者や、また街を出歩いている若者や老人に対して、これまた不要不急としか思えないマスメディア自体が外に出て報道し、まるで国家権力の代理人にような、正義感満載の論調で報道し、これをテレビを通じて浴びる善良な市民が一方的に誘導され、ネットやSNSや電話で罵詈雑言を浴びせるといったよくない光景です。

これは、村八分という、非常に日本的な閉鎖環境によって醸成されるよくない考え方なのですが、国民国家こぞって、和を以て貴しとなすで2,000年以上やってきたわが国としては、そうそうこの「有用性」を覆す仕組みがないというのも事実なのです。

我々、今を生きる日本人としては、このようなことが「できるだけ」起こらないように、こうしたことを、改めて折に触れ、発信していきたいと思います。

共に生き延びましょう!

こちらからは以上です。

(2020年4月8日 水曜日)