日向坂46は「ひなたざか」と読むのだということに今更気づいたという話(ほぼ雑談)(2021/03/10)

▼坂道系アイドルグループというのがいて、襷(たすき)なのか欅(けやき)なのか、乃木坂なのか何坂なのかよくわかっていませんでしたので調べてみますと、秋元康氏がプロデュースする乃木坂46、櫻坂46、日向坂46、吉本坂46ら、これら一連のアイドルグループおよび各プロジェクトの総称を、坂道シリーズというそうです。メディアなどでは坂道グループと称される場合がありますが、版権を持ち運営しているソニー・ミュージック公式サイトは坂道シリーズと称しているのでこちらが正式名称なのでしょう。

▼その坂道系アイドルグループのひとつ、日向坂46、というグループ名を、今の今まで「ひゅうがざか」と間違いなく読んでいた筆者が通ります。日向といえば、ひむかの国、神武天皇が遠い昔に東征にご出立された神の国であり、また日向(ひゅうが)といえば、かの日本海軍の航空戦艦として大改造を遂げた、あの伊勢、日向という戦艦を真っ先に思い起こしてしまう筆者としては、日向はひゅうがであり、まさか日向(ひなた)と呼ぶとはつゆほども知らずに今まで生きてきてしまいました。

▼日本海軍で建造され、あのイギリス(英国)アメリカ(米国)らを連合国として相手に太平洋戦争を戦った日本海軍の戦艦は12隻あります。巡洋戦艦とも言われた高速度を誇る金剛、榛名、比叡、霧島の4隻は、もともと大型巡洋艦として建造された経緯から、巡洋艦につけられる日本の山の名前が冠されています。榛名山といえば、走り屋漫画「イニシャルD」を思い起こす人も多いでしょうが、筆者は榛名山には実際に登ったこともございまして、大変いい山です。ひなびた温泉宿にも泊まり、大変よい旅を堪能しました。藤原とうふ店、には出会えませんでしたがいい思い出です。話が飛びましたが、比叡山(京都)、霧島山(鹿児島)にも複数回登ったことがある山岳部出身者の筆者としては、残る人生で金剛山にも登っておこうと思います。ちなみに金剛とはダイヤモンドのことでございまして、言ってしまえばダイヤモンド山、どんだけのキラキラネームかと思うのですが、その金剛(ダイヤモンド)を3つもあしらった三菱(スリーダイヤモンド)を旗印に持つ企業グループが日本で一番栄えていることを考えると、つくづく日本人は新しい物好きなのかと思い返します。

▼12隻中の4隻で一気に紙面を割いてしまいましたが、次に扶桑、山城、という2つの戦艦、ここからは、戦艦につけられるのは旧国名ということで、山から国名に「格上げ」されます。続いて、伊勢、日向の2隻。こちらは、さすがに神の国である伊勢と日向という2つの国名を頂戴した戦艦ということもあり、後ろ部分の砲台を取り去り航空甲板に改装、後ろ半分は航空母艦という世界でもまれに見る航空戦艦として実戦投入されました。日本古来の神様のお膝元の名前を冠した戦艦を、航空戦艦に作り変えて時代のニーズに応えようとした、かつての旧日本海軍関係者の執念、思いのたけを見るようです。

▼そして、長門、陸奥の2戦艦。そして最後に、太平洋戦争開始直後に就役した、世界最大の戦艦、46センチ砲9門を備えた超弩級戦艦である、大和と武蔵です。最後に大和(大和朝廷)、武蔵(武蔵国、今の江戸であり東京)の国名を冠した真打ちの登場です。3番艦として、「信濃」という艦も建造されましたが、こちらは戦艦としてではなく、仕様変更により空母(航空母艦)として建造されましたので、12の戦艦には入れていません。

▼終戦まで残ったのは長門1艦であり、この戦艦は、老朽艦として、アメリカ軍に接収され核実験の標的艦とされ沈没します。米軍のビキニ環礁における原爆や水爆実験の実験台として使われたのです。その前、戦争末期、最後の日本連合艦隊として広島の呉から沖縄に向けて水上特攻を敢行した戦艦大和以下10隻(伊藤整一中将以下7,000名の兵員)は、2時間にわたる米航空部隊の波状攻撃を受け、旗艦大和は魚雷11発のうち10発を左舷に集中的に受けて沈没、大和以下6隻は坊ノ岬沖に沈没しました。

1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和とその護衛艦艇をアメリカ海軍の空母艦載機部隊が攻撃した戦闘[2]。日本海軍が発動した天一号作戦の一環として第一遊撃部隊(第二艦隊のうち、第一航空戦隊の戦艦大和と第二水雷戦隊の軽巡洋艦1隻・駆逐艦8隻からなる)は沖縄方面に出撃、アメリカ海軍第58任務部隊がそれを迎撃した。午後12時40分から約二時間におよぶ戦闘の結果、大和以下6隻が沈没。日本海軍の大型水上艦による最後の攻撃となった。

Wikipediaより

この大和特攻において、唯一の軽巡洋艦としてともに沈没した「矢矧」、矢矧の名前は軽巡洋艦に使われた矢矧川の川の名前です、の機関室に若干19歳で乗組み戦死した若い兵隊さんがいました。筆者の母方の祖母の下の弟です。川の名前、山の名前、古い国々の名前を戦争機械である軍艦にも名付け、艦頭には菊の御紋をつけて敬愛し愛おしむ、日本人の生真面目さと心意気が感じられる話であります。この戦いには、胴体と翼に大きな日の丸をあしらった零式艦上戦闘機(零戦)の特攻、いわゆる体当たり攻撃による特別攻撃も敢行され、米軍に多大の心理的ダメージを与えることとなりました。今も鹿屋(海軍航空隊)や知覧(陸軍航空隊)の基地に行けば、当時の特攻隊員の手紙など、当時の思いに触れることができます。ちなみに筆者の母方の祖父は、同じく19歳で宇佐海軍航空隊で飛行機の整備兵でした。祖父が行きていたからこそ筆者の生命は今ここにあるわけで、それも大変ありがたいことだと思っております。

▼そういうわけで、日向をひなた、と長らく読めなかった筆者の長い話を終わります。ここまで読んでいただきありがとうございました。これからも、日本人のもつ面白い心象風景を活写してまいりたいと思います。

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