「字幕付き無音10倍速視聴」で動画コンテンツを視聴するという漫画的な視聴方法についての考察です(エイプリルフールのネタではありません)(2021/04/01)

▼おはようございます。令和3年の今日は、時間の使い方について話を始めたいと思います。シン・エヴァンゲリオンという、およそ四半世紀、26年間続いた(製作者側としては30年を超える年月)シリーズの最終話が映画公開されていて、順調に興行収入を伸ばして観客が2回3回と繰り返して視聴している状況です。プロフェッショナル 仕事の流儀というNHKの看板ノンフィクション密着番組で、この監督の庵野秀明氏や、亡くなって一周忌の伝説のコメディアン・志村けん氏の様子が公開されるなど、コロナ下にあろうが何があろうが日本人はその余すところのないオタク力やこだわり力をもってコンテンツを生みだし消費し、世界にやっぱり日本人おかしいわ、と衝撃を与え続けております。

▼その一方で、コロナ対策に最先端で取り組んでいるはずの厚生労働省の本省の幹部たちが、23人~24人といった大人数での盛大な送別会を開き、午後24時過ぎまで騒いでいた(24という数字に何かしらアミニズム的意味を感じるのは筆者だけでしょうか。24というのは約数が極めて多く割りやすい数なので暦や時間に採用されています)、という事案が明るみになり、そして自粛自粛の嵐の都知事が率いる東京都庁においても、こちらは25人(厚生労働省より1人多いというのはある種のマウントでしょうか)で宴会を開いたというような似た事案が出てきており、それについて関係した管理職を官房付にするといった事実上の更迭劇やら大臣の2ヶ月報酬自主返納など、いろいろ騒がしいことにもなっております。本省や都庁の課長職級といえば、学生時代から努力して官僚試験に合格するだけの勉学を積んで、少なくとも、批判だけしてぐうたらしている一部の庶民とは違って自ら努力し公僕職員として長い時間業務に精励していたと思われるわけですが、昭和の頃から続く風習が、いつしか世間相場との乖離が見られ、さらにコロナ対策の旗振りを行う立場にありながらたるんでいる、という批判(同調圧力)に耐えられなくなったのでしょうか、あえなく組織内部の論理によってさらりと更迭されてしまいました。日本の世間で言われる『トカゲのしっぽ切り』というのは、動物が行う自切という行動に準えて、大きな組織が、特に何らかの後ろ暗いことがあった場合に、組織全体としての危機から逃れるために、適当な地位の誰かを世間に差し出して批判の的とし、あるいは罪状をかぶせることによって、それと引き換えに組織本体は安泰を図ろうとすることを指します。おそらく、同様の送別会事案は他省庁や他の都道府県庁、市町村役所に広げれば多数あるはずですから、本件の「歴史上始まって以来」の、飲み会出だだけで更迭、という事案は、日本における相互監視文化の極地(典型)にある事案として、ぜひ筆者の人間行動学、歴史学の今後の研究対象にしたいと思います。

▼さて、そのような官僚や政府の混乱はよそに、庶民たちは自らの好きなコンテンツを生みだし消費し、そして普段の仕事は真面目に取り組み経済を回しているわけですが、そんな最新コンテンツに追いつくために、筆者として困っているのは、その最終話を見るだけの準備ができていないというところでございます。どういうことかと申しますと、もちろん、エヴァンゲリオンシリーズというのは頭では分かっているのですが、実は最初のテレビドラマシリーズ(ここでは「原典」といいます)を通して見ているわけではなく、いつも関連書籍や人の話といった二次情報で筆者の理解が構成されてしまっている、ここからいきなり最終話である映画作品を見たところで、卒業制作を見るだけの顧客としての準備不足は明らかでしょう。高校入試に臨むのに、正負の計算や三人称のsがわかっていない、というレベルの不釣り合いさが否めません。

▼幸い、現在の世界は、ギャーファム(筆者勝手命名、GAFAM)をはじめとしたハイテククラウド会社の面々が、スマホやPCBといったガラス板に、これらの過去の名作を廉価で投影してくれるサービスがあり、その代表格のネットフリックスでは、わずか月額1,000円程度のお金を出して会員(彼らGAFAMにとっては都合の良い養分)となれば、これらの動画コンテンツが見放題となっているのです。しかしながら、いくら動画が見放題といっても、エヴァンゲリオンシリーズの最初のテレビアニメシリーズだけで、全26話もあり、これを通常見ると、最初のオープニングテーマやエンディングテーマや次回予告編をスキップしても、ノンストップで10時間以上の時間がかかってしまいます。例えば大学生の時代の自分であれば、かつて未来少年コナン全26話を京都の北の蔦屋書店で(4話ずつ、7巻)まとめて借りて、大家さんが昔わりと高級な宿屋をやっていたという古い下宿の部屋で徹夜で上映続けたという楽しい時間が持てましたが、残念ながら現在の中年親父の環境では、仕事に介護に子育て地域活動、家事炊事洗濯掃除といった時間に追われる身としては不可能な芸事です。

▼そこで、筆者は復習としてどのように速やかに原典をおさらいするかということを考えに考えました。まず、ネットフィリックスは、字幕付きで1.5倍速再生までデフォルトでできます。したがいまして、音を出さずに、まさに映像を漫画のように、目で「読む」ことで、ストーリーを把握することができるようになりました。そして、そのうち、音声なしの静音動画でも、字幕さえあればある程度満足できるようになったのです。こうすれば、話は速いです。ネットフリックスの速度は、デフォルトで0.5倍速から1.5倍速までしか変わりませんが、ブラウザのChrome側でのプラグインを利用すれば、なんと16倍速までの高速視聴が可能になるのです。現実的には、16倍だとほとんど見えなくなるので、筆者の集中力の限界としては10倍速程度ですが、これで、宣伝除く一話24分程度のエヴァンゲリオンの各話も、一気に3分弱で「観る」ことができるようになったのです。無音なので、周囲に迷惑をかけることはありません。まさに、「本を読んでいる」感覚で動画コンテンツを視聴することに成功したのです。

10倍速の表示(Chromeのプラグイン)

▼もちろん、このような無音で字幕付きの10倍速で「視聴」するなどという方法は、本来のファンからすれば噴飯ものであり、決して認めがたい暴挙であることは論を待たないでしょう。しかしながら、全く原典コンテンツを見ないままで、あれこれ批評することのほうがおかしいと筆者は思いますので、時間的空間的状況的制約をかいくぐり、少なくとも最終話の映画を観るための準備を整えるという意味においてはご容赦いただきたいというところです。同じ話で、週刊少年ジャンプの名作であるワンピース、週刊ヤングジャンプの名作であるキングダム、といった、当然抑えておきたいコンテンツについても、例えばワンピースにおいてはイーストブルーで止まってしまってる、キングダムについては王騎将軍が戦死する、といったごく初期の段階でストーリーごと振り切られている筆者のような身としても、このへんの間隙を埋めるためにも、漫画喫茶にこもって原典漫画を読み耽るというのがコロナ下においてなかなかできにくい(筆者も更迭されたくないので)ため、これらのシリーズが人気のために「動画」になっているものについては、かような「字幕付き10倍速無音視聴」で一気に話の流れや世界観だけは共有し、あとは脳内補完してことに臨もうと考えております。

▼かつて、科挙という、中国で598年から1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験がありまして、現在の日本の国家公務員上級職、地方公務員上級試験など遥かに上回る倍率と難易度を誇ったものがありますが、この中国の科挙の試験では、15歳頃までに論語や孟子といった儒教の経典57万字という暗記が求められ、これを通常読んでいくと、朗読するだけで数十年かかるなどと言われたものですから、おそらく、高速読破や高速ブラウジングは、昔から必要とされていた技能ではないかと思うのです。人生は、勉強するのには極めて短いですから、コンテンツに限らず少なくとも小中高の「授業」「講義」については、要点を倍速で高速説明するようなコンテンツが切実に求めらているであろうと考えています。それではごきげんよう。今日も良い1日を。

ファンは「楽しい(fan)」ではなく「狂信(fanatic)です」

▼厚生労働省の職員23人が深夜まで課の送別会を開いていた問題で、厚労省はこのうち20人を処分すると発表しました。課長は事実上の更迭です。厚労省によりますと、24日、老健局老人保健課の職員23人が東京・銀座の飲食店で深夜まで送別会を開いていました。 厚労省はこのうち、20人の処分を発表しました。老人保健課長は減給1カ月で、大臣官房付に異動させます。事実上の更迭です。このほか課長補佐や係長など14人を訓告、主査など5人を注意・指導の処分としました。あとの3人は自治体からの研修生のため処分はしないとしています。田村憲久厚労大臣:「23名という非常に多い人数で、ちょっと常識では考えられません。そういうもの(送迎会など)をやめて下さいとお願いしている立場で、そのような自分らが行動をしたということはこれはもう許されないことであります」田村厚労大臣は2カ月分の給与を全額返納するということです。[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jpより引用

▼本件を威勢よく元気よく張り切って批判なさる与野党政治家方々へ。自党の議員が同種の案件に関与したことが発覚した際、同じ熱量、同じ言葉の厳しさ騒がしさで批判しないのであれば、その批判は本質的にさもしい官僚イビりでしかありません。身内は守りまた静観し、ほかは叩き放題という文化の先に生産的なものはありません。全く、テレビに写る官僚像を見れば見るほど、自分もなりたいと思う若者は減っていくばかりで嘆かわしいばかりです。