提案型野党という幻想
多くの国会議員は、地元に戻っているのだと思いますが、予算委メンバーの担当議員は予算委趣旨説明に出なくてはならないので残留しています。
国会ではこの趣旨説明を「お経読み」と言うらしく、これは定形化された内容を大臣が読み上げるだけの生業からこういう言い方となっています。
仏教関係者に大変失礼な表現ではありますが、国会内では当たり前のように使われています。
国会情勢ですが、完全に鎖国な毎日で支持率は高止まり、与党は満足です。
もともと、野党の役割というのは総選挙の次の日から、与党に対して「さっさと解散しろ、我々が取って代わる」と言い続けることなのですが、お行儀がいいのか覚悟も気合いもないのか、そんな戦闘体制を取る議員のまあ少ないこと。
世界を見渡してみて、選挙がまともに機能する議院内閣制の国はすべてが、例えば今の英国議会を見てみても、一切の美しさを排した泥仕合を延々と繰り広げているものです。
そんな覚悟不足の能力足らない大野党のいう、「提案型野党」など、まったく機能しないでしょう。
だいたいそんなこと言う綺麗な言葉の後ろには、「何としても与党になってやる」という気迫がまったく無いのです。
そもそも、そんな提案は実現しません。
選挙においても「(地元活動を怠って)政策本位の選挙をやりたい」などとのたまう人は、国会議員のステータスを楽して手にしてそのままでいたい人です。
そういう手合いは、中期的にはほぼ落選して居なくなりますから、かまわないことです。政治の世界には向いていません。戦闘力、体力に裏打ちされた知力が低くて使い物にならないです。別の道があるでしょう。
政治や選挙の世界は人間の泥臭い営みの最たるものなので、結果に至るまでのプロセスはまったく美しくありません。
だいたい、対峙する与党側から見て可愛らしい事を言うのは、深層心理で逃げているだけです。
だったら、モナ夫さんくらいに振り切って、泥をすすっても与党入りを狙う方がすがすがしいと思います。
以上