自分の人生を生きるために

他人や環境のせいにしない

他人や環境のせいにしない。そのために自分で勉強する。これが自分の人生を生きるために必要だと思います。今から120年以上前、エルバート・ハバードというアメリカ人が書いた「ガルシアへの手紙」という本があります。かつてアメリカとスペインとの間で、キューバをめぐって戦争が起きた時、アメリカと言われた合衆国はどうしても、スペインに対抗するためその反乱軍のリーダーと連絡をとらなくてはならなくなりました。そのリーダーの名はガルシアといいます。キューバの山奥の要塞にいるらしい。どこにあるのか誰も知らない。郵便も電報も届かない。しかし、合衆国の大統領は将軍ガルシアの協力を取りつけなくてはならない。事態は至急を要する。一体どうすればいいのだ!誰かが大統領に進言しました。「ガルシアを見つけ出せる者がいるとしたら、それは、ローワンという者です」。ローワンは呼ばれます。そして、大統領からガルシアへの手紙を受け取るのです。ここで、その後ローワンという名の者が、どのようにガルシアへの手紙を受け取り、それを防水の小袋に密封し胸に革ひもでしばりつけ、四日後の夜に小舟でキューバの海岸に上陸し、ジャングルの中に消えていき、敵地を歩いて横断し、ガルシアに手紙を渡し、三週間後に別の海岸に現れたか、それを詳しく語ろうとは思いません。ただ、言いたいのは、このことです。アメリカ合衆国マッキンレー大統領はローワンにガルシアへの手紙を渡したが、そのときローワンは、その手紙を黙って受け取り、「ガルシアはどこにいるのですか」などとはひとことも聞かなかったということです。この者こそ、ブロンズで型にとり、その銅像を永遠に国中の学校に置いて称えるべき人物です。私たちに必要なのは、学校における机上の勉強だけではなく、あれこれ細かな知識技能だけでもありません。この者、ローワンのように自分で考え自分で決断し、そして背骨をピシッと伸ばして挑戦することなのです。自分の力で物事に取り組もうという精神を鍛えて、そして自ら実践することなのです。自ら進んで挑む勇気を教えてその挑戦を称えることです。そうすれば、人々は、信頼に忠実に応えられる人物、すぐ行動に移せる人物、精神を集中できる人物として、そしてガルシアに手紙を持っていく人物としてその者を称えることになるでしょう。この、ガルシアに手紙を届けられる人の願いは、何であろうと聞き入れられます。このような人は、どこの国でも、どこの街でも、どこの村でも求められているのです。このような人は、どこの会社でも、どこの店でも、どこの工場でも求められている。世界中が、このような人間を、必死に、探し呼び求めているのです。世界はいつでも、本当にどこでも、彼らのような、自分で考え、自分で実践する、そんな現場の人間を必要としているのです。ガルシアへ手紙を届けられる人間を。あるものでなんとかする。おりあいをつける。やりくりする。それでも無理なものだけ、外注、要はアウトソーシングしたり、教えてもらったりするべきなのです。自分たちでなんとかした分だけ見えるものがあります。自分でなんとかできないくせに、他人や環境や政府や世界に文句ばっかり垂れている、不機嫌でうるさい、さもしい連中にだけはならないように。死んだおばあちゃんがそのようなことを言っていました。PDCAとか偉そうなことを言ってるだけでその実なんにもやらない人にだけはならないように。専らDDDDです。わたしのお父さんのおじいちゃん、つまりわたしのひいおじいちゃんは昭和元年生まれで19歳で高校卒業後、海軍志願兵となり太平洋戦争に従軍しました。復員してすぐ働きはじめましたから、勉強できなかった、残念だったと常に言っていました。ひいおばあちゃんは、床屋の修行に入り、一生懸命手習いをして覚えたそうで、こちらも高等教育をもっと受けたかったと言っておりました。当時の世界最強帝国アメリカを堂々と向こうに回して昭和の初期、太平洋をまたにかけて戦った我々のご先祖様が、それだけで凄いと思うのにやっぱり勉強したかったと孫のお父さんに語ったのは、やっぱり人間が人間として責任を持って名実ともにしっかり生きてきちんと死ぬためには生涯を通じた学習や勉強の習慣と、たゆまぬ人格向上が必要であるということなのでしょう。勉強、というのは心身ともに鍛えることであり、単に書物を読むとか演習が上手とか試験の問題を解けるとかいう、そういうことを超えた全人格的な教育だと理解しています。このゴールデンウィークに福岡県護国神社で吹奏楽部の演奏があり見に行きました。日本国のために命を落としたご先祖さまの英霊を祀っている護国神社。福岡県出身および縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を神様としてお祀りしています。このようなご先祖様に恥じぬように、わたしも、なぜ勉強するのか、時々自らに問いかけながら、学びを、人生を進めていきたい思います。勉強が必要なたった一つの理由。それは自分の人生を生きるため。自分で考える人生。人間、ひとそれぞれです。それぞれの人生に熱あれ。皆の人生に光あれ。