自由の本質

【一倉定先生の言葉で、社長の心と姿勢を正す】
『我社の総力をあげての戦いであり、生死をかけた戦闘なのである。 企業が戦闘集団である限り、個人の自由はない。』(一倉定の社長学/第6巻 内部体勢の確立)
この自由民主主義の日本において、「自由はない」と言われる一倉先生ですが、もちろん、これは「会社の中において」ということです。
「自由気ままに生きる」。素晴らしい生き方のように思えますが、人間は「社会」なくして生きることはできません。
社会というものが存在して人間は、安逸に生きることができる。「自由」という価値観そのものが、「社会」の存在なしにありえないのです。
本当に自由に生きたければ、何もない無人島で生きたらいいのですが、社会なき無人島では、生きることに必死で自由を謳歌することなどできないでしょう。
人間は、社会の中で生きるのですから「社会に対する義務と責任」を果たし、必要な金銭を得てこそ「自由」になれるはずです。
金銭をいただくという「自己の自由を得る」と同時に、サービスを提供し「他人の自由に益する」ために、企業は存在する。そんな企業で働いているときは「自由」を制限されても仕方ないのではと思うのです。
なお、「お客様の要求を満たすサービス集団」の項においても、一倉先生は『我社の自由も社員の自由もない。あるのは、お客様の自由のみである。』と言われておられます。
企業は「お客様の自由」のために、「総力をあげて戦い」義務と責任を果たしてゆく。
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