(2020/02/11)2月11日は建国記念「の」日であることの由来について
おはようございます。
2020年2月11日、日本では建国記念「の」日、という祝日です。
建国記念、と日の間に、「の」が入っているところが大変奥ゆかしく、これは本来、日本の皇祖神であります天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫であるところの神武天皇が即位されたその日が2月11日であるところから、本来ならば日本の建国記念日なのですが、かつて大戦に敗戦した我が国が、日本の歴史的事績が根こそぎ連合軍(現在の国連の前身で略称はUNで同じ)による日本占領政策に対して、せめてもの「抵抗」を示してこの日を、建国自体をたまたま2月11日に祝うのです、であるからして、「建国を記念するという意味で、日付は一般的なものに過ぎません」という意味での、「の」挿入なのです。
例えばフランスとか、例えばアメリカとか、例えば中華人民共和国やシンガポールといった、近世以降に「建国」された日がそうした国の人々にとっては明確で教育されている、「実際の建国日」がある国家と違って、日本というのは、世界一ともいうべき長い歴史をもっているので、実際の建国日は遠い遠い昔にあったかもしれないけれども、明確ではないということです。
そうは言いましても、当然に日本という国が定まっていた中で語られてきた日本の建国神話(日本神話)を紐解きますと、2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)であることから、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付ととして祝うことになりました。
そして、1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国建国の記念日として「紀元節」と定められ祭日となり翌年から適用されたわけで、日本国としてもっとも大切な日であるわけですが、残念ながら第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に日本を占領していた連合国(GHQ)が、日本の文化から国家神道を徹底的に排除しようとする過程で廃止されてしまいます。
祝日を奪われた形の、我々のご先祖様たちは、その後、当たり前ながら自国の建国日である紀元節復活の動きを高め、そうして、建国記念「の」日として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用されたというわけです。
この日を、具体的に何月何日を記念日とするかについても、もちろん議論がありました。
日本社会党は日本国憲法が施行された5月3日(憲法記念日)、公明党(旧:公明政治連盟)の設立者である創価学会の池田大作会長(当時)はサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日をそれぞれ提案しました。
民社党は聖徳太子が十七条の憲法を制定したとされる4月3日を主張し、朝日新聞も社説で同じ日付を提案しました。
もちろん、意見を言うのは自由であり、いろいろな意見が出されることは良いことですが、その中で実際に記念日を定めていかなければなりません。
結局、当時の政権首脳は、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として「建国されたという事象そのものを記念する日」であるとも(読みようによっては)解釈できるようにして、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行うことで、他の野党も妥協した形となりまして、1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立します。
この「祝日法改正法」では、「建国記念の日は政令で定める日とし、建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項において「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めました。
そして、「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置され、約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出されることになります。
これを受け、同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行しました。
こうして、明治以来の紀元節が、そのまま2月11日に事実上復活したというわけです。
もちろん、この祝日に関する評価はそれぞれだと思います。
しかしながら、時の政権は、きちんと歴史に対する敬意と評価を丁寧に行い、合意形成をとりながら、こうして自国の歴史的日を復活させたというわけです。
素晴らしいことだと筆者は個人的に思っています。
それでは、厳かに、心静かに2月11日の祝日、建国記念の日を祝いたいと思います。
こちらからは以上です。
(2020年2月11日 火曜日)