適当な塩梅がよい

極端な意見は人の耳目を集めますが、持続性はありません。

逆に、適当な塩梅は長続きします。

特に日本人は、日本という国の成り立ち時に聖徳太子(厩戸皇子、うまやどのみこ)という人が定めた国の経営理念的なもの「十七条憲法」において、その最初の一条に、和をもって貴しとなす、と書いているくらいに適当な塩梅で同調圧力にまかせなさい、とおっしゃっているくらいです。

みんな仲良く平和な世の中やったら、なんでもいいという感じです。

強烈な正義も要らんし、適当な感じが一番いいんじゃない?という感じなのです。

無理して決める必要はありません。

決めなくていいのです。

国民的「イケメン」も、国民的「美少女」も、毎年コンテストはありますが、ころころ変わって流転していきます。

しかも、そのコンテスト自体が、一般民が可愛い子、イケメンが見たくて集めてきてるイベントです。

令和の時代になった今、これだけの情報化社会で、やっている総選挙においてもsns解禁になって、ダラダラぐちゃぐちゃになっているのが、まさに先祖返りで、和を以て貴しと為すに繋がっているのです。

正に原点回帰。

てきとうにやっているんだけど、なんとなく、やってる感が大切です。

選挙においても、投票率を上げましょうというやってる感満載のイベントもありますが、本当に投票率を上げようとするならば、本当にコロナで目に見えて死者がバタバタ出るとか、そういう風に国を危機的な状況に不作為で陥れればよろしいです。

一気に投票率など跳ね上がるでしょう。

自意識高い系がいくら偉そうなことをいっても、投票率など上がりません。

国際的には、投票率の高い国もたくさんありますが、それには理由があって、高い国には事実上の罰則があるのです。

もしくはまともなやつをリーダーに選ばないと国が滅ぶ状況にあります。

投票しないとか、無効票作って遊んでいる暇はないのです。

罰則なんかあったら、強制ってことやから、それこそ公平、透明性という建前にかけるじゃないですか、と思うのは日本人くらいであり、諸外国は民衆が選挙により代表者を選ぶという権利を勝ち取ったという歴史的経緯があるにもかかわらず、日本はお上が勝手に民衆に忖度して選挙権を拡大してきたという歴史から、本来の投票してもよいという選挙権の在り方に近い形で運用されているともいえるのです。

大丈夫です。少々投票率が低くても、日本は滅びません。

たとえ、東日本大震災のときに、東電にブチギレてただけの菅首相でも、コロナの時の棒読みオリンピック強行菅首相でも、それでも国はなんとなく回っていくのが日本の凄いところなのです。

諸外国は、もっと選挙によるリーダー選出について本気で考えていて、この無駄なことにすがらないとやっていけない、国がもたないともいえるのです。

一方、心の底の本音では、選挙は建前と割り切ってるのが日本だと思っています。

それが証拠に、日本で最高位の権威を保持する国民統合の象徴たる天皇は選挙で選ばないですよね。

国家主席とか大統領とかを国民相互の選挙で選ばなければならない国の、なんとめんどくさいことでしょう。

ギリギリまで引き伸ばして、あーだこーだいって、そして結局間に合わなくてうやむやにするのが日本のお家芸なのです。

以上

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