新聞の劣化

最近、新聞、特に日刊紙は官邸の機関紙から経産省の機関紙に成り下がった感があります。

ネット版(コメント欄参照)では、【独自】と銘打っているなと、スクープのつもりなのでしょうが、全てのネタを提供してもらっている感じがありありで、こんなの読むのも億劫です。

霞が関の常として、政策に行き詰まると打ち出されるのが新しい組織を設置することです。

この点、組織いじりが大好きな民間企業、特に銀行などもそうですが、デジタル庁も、こども庁も全く同じです。

大切なのは、法的効果のある個別法の意味ある規定をどれだけ作れるかであり、その法律を執行する部署の役割と権限を明確にし、関連する部署の相互との連携体制を作るのが、血の通った組織のなせる技ですが、稟議一本書けない評論係員ばかりの寄せ集め世帯では、やれることは限られるでしょう。

おそらく今検討されている経済安保関連法案では、そのようなものはほとんどないだろうと想像されます。

何より、新しい資本主義とは何なのでしょうか。

重税?

もう一つ付記しておきますと、霞が関の限界を示す事例が、「日本版〇〇」という外国の政策をまねたものですが、経済安保と銘打って自らの手を縛ったり、屋上屋を重ねる馬鹿らしい政策は、さすがに諸外国では行われていない模様です。

一方、経済安保がらみで、「生物兵器に転用可」とされ逮捕された精密機械製造会社の社長が、自らの実証実験で無罪を証明した記事が社会面にあります。

何気ない紙面構成だが、ここに本質が示されています。

ある技術が軍事転用されるかどうかを技術的に判断する能力を果たして行政はもっているのかどうか、諸外国の軍事技術情報などをはたしてどれだけ把握できているのか、という問題提起なのです。

しかし、新聞は官邸や経済産業省の役人をバカと書くと怖いから、こんな社会面記事でお茶を濁すのです。

大学前から文系・理系と分かれ、事務官・技官と採用が分かれる日本の官僚組織が、最も苦手とするところでしょう。

問題の本質は、組織をどう作るかや、法律をどう改正するかではないところにあるはずです。

あと官僚のみなさん、もっと勉強してください。

わたしも頑張ります。

以上