進撃か迎撃か
迎撃か進撃か
進撃の巨人の話ではありません。日本のリアルな歴史の話です。
BS/NHK「英雄たちの選択」でやっていた、承久の乱の攻防は、まさに北条義時の「迎撃か進撃か」の選択でした。
進撃を選択した結果は、北条義時、北条政子、大江広元、三浦義村らといった、多種多様な考えを合わせた「チーム鎌倉」の勝利でした。
承久の乱とは1221年に後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発した事で起こった「日本史上最初の朝廷と武家の直接対決」です。
第2代執権北条義時率いる鎌倉幕府はこの知らせに大きく動揺しますが、北条政子の「名演説」により上皇側と対決する事が決まりました。軍議では北条義時、三浦義村、安達景盛ら「戦のプロ」は「箱根・足柄山での迎撃」を主張します。
これは
①地の利がある
②補給に心配がない
③上皇方の遠征疲れ
④さすがに上皇自身は遠征しないだろう
…..など戦術的には理にかなっています。
一方「戦の素人」の北条政子、大江広元は「京への進撃」を主張します。
今回の院宣は義時個人の追討で、幕府の分断に狙いがありました。
これを跳ね除けて幕府を一枚岩にする事が勝負の分かれ目であり、「戦に踏み切らせること」が重要との考えです。
最終的に幕府は進撃策を採り京に攻め上り大勝利を挙げます。
要は戦も事業も結局は「人を掌握してなんぼ」です。
以上