令和の親鸞

江頭2:50

令和の親鸞、って大きく出ましたけど誰のこと?って思ったあなたは驚かれましたか?筆者が現時点で生きている中で最も尊敬している人物のひとり、江頭2:50について話す回です。写真は親鸞上人ではなくて、弘法大師空海なんでその辺粗くてすみませんが、とにかくお付き合い下さい。

親鸞上人は、現在の日本の仏教徒の最大派閥、本願寺派と大谷派(大谷翔平さんじゃないよ親鸞の廟堂が京都東山知恩院北門の大谷の地に定められたことによる地名だよ)に分かれているけど圧倒的多数を占める最大多数派、文化庁が発表した宗教年鑑のデータでは、浄土真宗本願寺派は約784万人、真宗大谷派は約735万人の信者がいます。 仏教系の信者数の約2割が浄土真宗の信者であり、国内の伝統仏教系では最大の勢力を誇る浄土真宗の開祖、それが親鸞です。あらためて常識のおさらいです。

さて、何がキッカケで人生変わるか分からない、というのを体現しているのは偉人の特徴です。藤野義明さん著「エガちゃんねる革命」という本にありますが、とても印象深い本です。藤野さんはYouTubeエガちゃんねるのディレクターであり、今ではエガちゃんが所属する事務所の社長でもある、いわばエガちゃんねるとエガちゃんの司令塔という立場の人です。番組内では「藤野D」と呼ばれています(DはディレクターのDです)。

もともとこれ書いてる筆者はテレビを見ない生活を長く続けており、さらに動画や写真やパワポより、文字テキスト情報を集中して読むことで情報を取り入れて自分なりに咀嚼するというスタイルで情報取得と思索と(仕事などの)活動をやっていくというスタイルなので、当然にテレビ媒体で活躍している芸能人の活動に疎くなり、お笑い芸人の方やお笑い番組のことをあまり知らずに生きている部類に入ります。しかしながら、こんな疎い筆者ですら、江頭2:50という芸人の存在は知っています。まず、これだけで彼の影響力が見て取れます。異宗派の人間にもその存在を知られているという意味で。これは偉人の条件です。イスラム教徒だってユダヤ教徒と共にモーゼの存在は知っていますからね(憎しみとともに、かもしれませんが)。人間の存在感というか影響力というのはそういうものだと思います。

さて、江頭に話を戻します。
そもそも一般的な世間的な江頭2:50の印象は控えめに申し上げて最悪で、
「気持ち悪いことをする」
「非常識な人間」
「精神的におかしい」
「人に迷惑を掛けて笑いをとろうとするダメな芸人」
的なものだったと思います。
恐らく、2011年震災前くらいまでのエガちゃんのイメージというのはそんなもんだったと思いますし、彼も別にそんなもんで、このポジションを弁解するつもりももともとなかったのではないかと思います。
悪評は無名に勝る、とでもいいましょうか。
「嫌いな芸能人ランキング9年連続1位」
「抱かれたくない男ランキング1位」
などのありがたくない、だけども偉大な記録が、いかに彼が嫌われていたか、そして目立っていたかを表していると思います。

ただし、そんな激しい芸風の彼も、2018年に準レギュラーで出演していたテレビのお笑い番組が3つ揃って終了してしまい、その後エガちゃんを使おうとする番組はなく(コンプライアンスがうるさくなったことも影響していたそうです)、エガちゃんは「消えた芸能人」的な扱いになって、地方のパチンコ店営業ぐらいしか仕事がなくなったそうです。コンプライアンス自警団に潰されそうになっていたというわけですね。それこそ多様性に反するんじゃないかとわたしなんかは思いますがね。

さて、そんな追いやられていた彼を見て、テレビ番組で付き合いが始まっていた藤野Dはそんなエガちゃんの魅力に惹かれ、引き続きエガちゃんと組んで新しいことをしようと決意します。しかし、あちこちの局にエガちゃんの企画を持っていったもののすべて断られてしまいます。誰も予想不可能な出入り禁止を喰らっている芸人を使おうとは思わない。安全サイドに立つわけですよね。つまらん。
そして、行き場がなくなった藤野Dは、「どこも使ってくれないなら自分たちでYouTubeにチャンネルを作って好き勝手に動画を発信しよう」と思い、エガちゃんを口説きチャンネルがスタートしたとのことなのです。なので江頭は最初乗り気じゃなかった。
当初エガちゃんはYouTubeにはあまり乗り気ではなかったそうですが、藤野Dが必死に口説いてYouTubeを始めることを決意することになったわけです。
藤野Dの戦略は、「素の(ありのままの)江頭を動画に露出させる」でした。
エガちゃんは今では「実はすごく几帳面で真面目で礼儀正しく恥ずかしがり屋」であることが(ようやく)知れ渡っていますが、テレビに出演していた時は、「過激で下品で気持ち悪いキャラ」としか見せない芸風を徹頭徹尾貫いていました。
でも藤野Dはテレビ時代からエガちゃんと組んでいたため、普段の江頭、素の江頭の人の良さとナチュラルな面白さ、勉強熱心なところ、教養の深さ、人間というものを突き詰めようとしていた本当の求道者としての姿、そして弱いものに対する愛情みたいなものを、本当に良く知っていたのです。そこで、テレビでのいつものA面鉄板の江頭的な過激で下品なコンテンツと並んで、素の江頭、B面の江頭も押し出していくことで、テレビとは違うエガちゃんを表現しようと考えてスタートしたそうです。壮大な戦略です。

さて、筆者も時々エガちゃんねるを観るわけですが、たまたまYouTubeのおすすめに流れてきて再生が始まった「花火大会」の動画でした。
動画を観ての第一印象は、「テレビの時とは全く違う」でした。

テレビの江頭2:50は筆者が知る限り、だいたいいつもチョイ役で出てきて暴れ回り下品な言動をして裸になったり逆立ち芸をして説教垂れて、すぐいなくなる、みたいな衝撃的な出方をしていたのですが、YouTubeのエガちゃんはゆったりした尺で活き活きとしていて、それはそれで「人間らしさ」がすごく出ていると感じたわけです。それで、何本も見てしまうという塩梅です。
2018年、55歳で仕事がなくなってしまい「終わった」と言われたエガちゃんが、2年連続で「好きなユーチューバーランキング」1位となり、今やチャンネル登録者数436万人にまで成長し続けているのですから、人生どのタイミングで何がキッカケになるか分かりません。

ですので、今のところの結論として、悪評の一発屋芸人であろうが、腐らず挑戦を続けることで何かしらのインパクトを与えることがある、一見気持ち悪いとかネガティブな感情を刺激するような芸風であっても、それは一面の特徴に過ぎないのではないか、さらにそのような道化を全力で演じられるのも、人間というのを深く理解した者の成せる技なのかもしれない、というところなのです。

親鸞聖人も、高野山(正確には比叡山。読者指摘により間違いが判明)修行者きっての天才と謳われた中から、勉強だけでは衆生は救えないと山を降り、いきなり戒律破り、掟破りの妻帯かまして放逐されます。それでも、悪人こそ往生を遂げるという逆転の発想、悪人正機を説いて全国をめぐり、そしてそのわかりやすい教えや自身の悩みから出た言葉は、心や脛に傷を持つ衆生の圧倒的な支持を得て、蓮如の時代に花開くことになります(蓮如も子供54人いるとか、相当イカれてます)。そうして浄土真宗は日本における仏教最大勢力になっていったのです。人間とはそういうもんなのです。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや〔『歎異抄』第3章より(『真宗聖典』627頁)〕「善人でさえも往生できるのだから、悪人が往生できるということは言うまでもないことです」。

江頭2:50、なんで2時50分かご存知ですか?江頭は、大川興業所属が決まった折、ばってん荒川が好きだったので、デビュー当時は「バッテン江頭」の芸名をとりあえず名乗っていました。そして、飲酒した際、毎晩のように深夜早朝2時50分頃になると同性愛者のような振る舞いを見せることが特徴的であったことから、大川興業の大川総裁こと大川豊が「江頭2:50」と命名したのです。同性愛者のような振る舞い、なんてこの令和の時代にどの公共電子媒体も書けないでしょうから、この草ブログでばっちり書いておきますねw。

最後に江頭の名言を。
今のすべてを出しきりたいんだ。おれはいつ死ぬかわからない。視聴者が最後に見た江頭が、手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?

かように大変尊敬しているので、だから江頭2:50に倣って毎日の起床を2:50にしている、そんな筆者からの駄文でした。
わたしもいつも全力で行きたいです。
おわり。