日本の労働転職市場がどうして硬直したものになっているのか原因に迫ってみます(2018/01/18)
おはようございます。
2018年1月の記事です。
2日連続で日本の雇用慣行における課題問題点について論じてみたいと思います。
先日は、日本の労働転職市場がどうしてこのように硬直したものになっているかの大きな原因として、解雇規制が厳しすぎるということを挙げてみました。
もちろん、当局(や裁判所)がこの規制を緩和しないことが根源にあるのですが、実は、一見自由主義者のふりをしながら、この解雇規制が緩和されてしまうと実は困るというか不利益を受ける関係者が多く偏在しているため、この制度はおかしいなという一般民の声をずっと無視した形で続いているという現実もあるのです。
具体的に説明しましょう。
まず、一般的に弱者の地位にあると言われるサラリーマンからすれば、解雇規制が緩和されると一見不利益のように見えます。
しかしながら、事実上市井の運用としては、「仕事ないから今月いっぱいで来なくていいから」といった言われようで、退職金ともいえないなけなしのお金で首になってしまうことも珍しくなかった零細企業の従業員にとっては、実は1年分なりの給与を保証するという点を徹底するという点では解雇規制の緩和ではなく強化といっても差し支えないのです。
ですが、一般には解雇規制の緩和というと、すぐ首を切りやすくするための企業側の論理として無条件に反対しがちであるのは否めないのです。
さらに、本来現状の解雇規制があるおかげで正真正銘便益を受けている(甘い汁を吸っている)層も存在します。
それは、例えば一般的な早期退職プログラムで提示される、いわゆる2年分程度の年収相当を早期割増退職金として退職金に上乗せして受け取れるといった条件より、はるかに好条件の退職プログラムの提示を受ける可能性が高い、いわゆる大企業の正社員(労働貴族)たちがそれにあたります。
つまり、こういった大企業に長く務める正社員(もはや少数派)にとっては、たかだか年収1年分程度のお金で首になってしまうといった金銭解雇ルールなどは、まさに悪夢で絶対に避けねばならないというインセンティブが働きます。
なお、巷で言われている限りの日本での最高級の早期退職募集案件は、実は解雇規制反対の論陣の急先鋒でもある日本のマスコミ界の代表ともいって良い朝日新聞社のものでして、なんとこれは年収の5割相当を10年間支給するというものでした。
年収の5割を10年間ですから、ざっと5年分です。
しかも、当然に勤務義務もないので、再就職なり自前で起業しようが自由です。
これぞゴールデンパラシュートではないでしょうか。
これでは、社員総出で解雇規制緩和には否定的な論陣を自社の紙面で張るのも仕方ないことなのかもしれません。
かように、実際としての解雇は、明日から来なくていいと言われるのから向こう10年間に渡って割増退職金を支給し続けるものまで、天と地ほどの差が運用によってバラバラであり、明らかに世間相場というものがない世界になってしまっているというのが実態だと思うわけです。
そこに問題の本質があると思います。
従いまして、解雇に関する金銭解決の指針、みたいなものを整備してもらうだけでよく、それは判例の積み上げでも構いませんし通達レベル(法令改正までは不要)で結構だと思います。
筆者の肌感覚では、1年程度の割増退職金で自由に雇用種側の解雇を認めるような労働契約になれば十分だと思います。
そうすれば、日本の労働者会社双方の生産性が飛躍的に向上し、前向きな転職労働市場の発展にも資すると思います。
なぜかをもう一度説明すると、解雇規制が緩和されて金銭での自由な企業側からの解雇が認められれば、企業側を縛っていた、間違って(少なくとも企業側にとって)ダメな人材を高給で雇ってしまった場合に、首にできないので、したがって怖くて高い給料を払えないという「呪縛」を解くことができるからです。
そして、日本人の社員の年収は間違いなくアップします。
すなわち、日本企業の年収水準が国際的に見て低いのは、間違って雇ってしまった企業側としてダメだと判定された人材を泳がせている給料の分だけ、社業にとって必要で優秀な人材の給料を減らさないといけないからであります。
解雇規制は、まさに薄く広くダメな人材分をみんなで負担する制度であり、企業にとっても働く側にとっても、実は諸悪の根源なのです。
労働者側も、自分をダメと判定する企業に長くいる必要はなく、そんな場合は、どんどん他に再チャレンジすべきなのです。
20歳そこそこでその後の人生を一気に決める決断を迫る、新卒一括採用+解雇規制+終身雇用+年功序列、というコースは、もちろんそれで「はまった」人については良い制度かもしれませんが、それ以外の選択肢が限りなく狭いというのはバランスを欠いていると思うわけです。
わざわざ、意図的に、人材のミスマッチを作り出し硬直化させようとする圧力がかかるのはかなり納得いかないように思っています。
ということで、転職回数なら余人の追随を許しませんが、実は仕事には一途で転職のことは「卒業」と呼んでいるセンチメンタルな筆者からは以上です。
(平成30年1月18日 木曜日)
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