人を物理的に集めて組織化して活動することが終焉した日の風景をレポートします【コロナ戦役】(2020/04/04)
おはようございます。
2020年4月の、世の考え方が変わった土曜日の配信記事です。
九州の商業の中心である、天神地区の大きな百貨店が、週末土日の休業を決めました。
新型コロナウイルス感染症拡大を防ぐための処置です。
世界的コーヒーチェーンのスターバックスも、福岡地区については全店舗休業するとの発表がありました。
かろうじて時間短縮で営業を継続していた、都心の喫茶チェーンの「ベローチェ」についても、店内はこのような状況で、客である筆者(コーヒーゼリーを注文)よりスタッフの方が3名で多いという状況です。
これでは、開けている意味もないわけで、各商業関係、小売オペレーターのみなさんも頭が痛いところだと思います。
それなのに、密集を防ごうと言われているのに、開店前のドラッグストアに行列で並んでマスクや手指消毒液を買い求めてる人々の絶えないのは、人間が、いかに事実やファクトに目を背けているのかということを示すよい証左のような気がしています。
マスクは特に感染「予防」にはならない、とは国連の機関も言っていますし、手に入らないなら無理して買い求めずに、布のマスクを作るなり、ハンカチなりを顔に巻いて代用すれば良いと思います。
並んで密集することの方が、はるかに「科学的合理的には」避けるべきことだと思いますが、いつの時代も、起こることによる「同調圧力」があるということなのでしょう。
もちろん、マスクを買い求める人には、おそらく個別の事情があって、自分の分ではなく、介護している親の分や、子供の分、知り合いや事業で使う、といった分が含まれていることは容易に想像できます。
できれば、アクセルとブレーキを一緒に踏んでエンストしてしまうような、そんな社会の不合理で余計な仕組みや因習が、少しずつ取れていけばいいなと思っています。
さて、ネットショッピングや配送サービスで利用しているヤマト運輸の人から、ものを受け取る時に、筆写はできるだけ配送していただいたことのお礼を述べて少しだけ話をするように努めているのですが、最近は配送先の顧客の方が家にいる場合が多いので、実は配送効率は上がっている、というような話を聞きました。
こうしたことからも、1個あたりの荷物配送の再配達割合が何%、というような無駄でお互い疲弊するだけのやりとりを減らす気づきになればありがたいと思います。
筆者は、できるだけ、再配送になってこちらサイドに再配送のボールが投げ込まれるのが嫌なので、「いついつに配送する」という通知をいただければ、極力受け取る体制を確保するようにしています。
本当は、ヤマト運輸についても、「置き配」サービスを導入していただきたいのですが(玄関先にホームセンター「グッデイ」で購入した黒い箱をおいています)、アマゾン指定の配送業者しか「置き配」はしてくれないので、代わりに初回の配送でも何時くらいに来る予定なのかが絞れれば、お互い非常に楽だと思っています。
この状況は、残念ながら、与えられた仕事や勉強をこなしていれば、自動的に給料や待遇ややれることのスキルが上がっていって「フツーに幸せにやっていける」という時代が完全無欠に終わった、ということだということが、結構多数の人間の普通の意識として急速に浸透してきたことの証左だと思います。
この、土日の都心の百貨店に人が全く入っていない(休業しているのだから当たり前ですが)という「絵」を見れば、それもわかろうというものですが、なかなか人間頭ではわかっていても、実際に肌感覚で味あわないと本当には学ばないものだと思います。
そして、この認識は、かなりの普通の人々の誰もが、これを正面から否定することができない程度に市民権を獲得した、という事実に驚いているのです。
「真面目にやっていれば普通に幸せにやっていける」時代の終焉。
驚きです。
真面目に勉強する、真面目に働く、真面目ってなんでしょう。
おそらく、この真面目という言葉には、個々人の、それぞれ異なるオリジナルな人生に向き合う、という観点がすっぽりと抜け落ちていて、全て他人任せ、他人事、他人からの指示待ちで自分に矢印が向いていないことではないかとも思うのです。
真面目に人生を生きるという話が、これから本当に問われる、という意味では、むしろ楽しみで仕方がない、ということではないかとも思うのです。
そういう意味では、終焉ではなくて再生、リボーンといった方が良いのではないかと思っています。
「自助努力なしには、幸せになれない」
というのは、人類史開闢以来の変わらない真理だと思っています。
そういう意味ではこのタイミングで目覚めたのは良かったと思っているのです。
こちらからの配信記事は以上です。
(2020年4月4日 土曜日)