西村大臣のお酒の話
西村新型コロナ担当大臣と酒と文書
西村大臣の「酒」関連の話を見て簡単に、勝手に総括します。
なお、本論に入る前に、本日(2021/07/14)の国会で、本件に関し、西村大臣含む関係者の「総理は要請の『具体的内容を』承知していない」との国会答弁が連発されましたが、これを正しく官僚用語で読みますと、「事前に(は)相談した」ということを意味します。全く相談していないのであれば、要請を承知していない、とシンプルになりますが、なんだかよくわからないいけど「具体的」と付されている所がポイントです。
つまり、総理は要請の内容を「具体的ではない形であるけれども立派に、しっかりと(菅総理が多用するフレーズ)」承知していたのです。
この点、追求する野党国会議員の技量はまだまだです。もっとニッポンの正しい日本語官僚答弁を勉強され、級位段位を上げられ、正しい質問のあり方を追求していただきたいと切に願います。
さて西村大臣と酒の話の本論です。
西村 康稔 (にしむら やすとし)大臣が打ち出したのは、もともと内閣官房コロナウィルス感染症対策推進室に認められていた権限を逸脱するものではなく、論理的には別に問題なく、全く符合します。
下記に付した事務連絡を見ていただきたいのですが、あくまでも、(所管)金融機関等の融資先に対する特措法に基づく要請・命令の遵守等の新型コロナウイルス感染症対策の徹底促進を「依頼」しているだけなのです。
しかしながら、人間とは感情を持っており、中小企業に対して融資をお願いしている立場の金融庁管轄の業界に対し、同じ政府が酒売るところの融資は止めろと言っていると「受け止める」わけで、これでは一般大衆や民間企業の人間は混乱し、そして嫌悪するでしょう。人間は感情を持つ生き物であり、一人ひとりに個性がありますので、論理的整合性だけで動くものではありません。逆に、感情が先にあって、そしてそれを補完強化するための論理という理解の方が正しいと思っています(個人的意見です)。
西村大臣は、灘高→東大→通産省→衆議院議員→大臣という道を歩いて来られまして、これは、おおむね論理的整合性が幅を利かせる枠内で生きて来られたからでしょう。
人間を数字で表される集団として見ることに慣れ過ぎたのだと思います。西村大臣の衆議院議員としての小選挙区は淡路島全島を含む保守地盤の兵庫9区です。
保守対立で初選挙は落選していますが、その後は楽な選挙ばかりです。
地元の居酒屋のマスター、酒屋卸の社長、酒店の店主、ビールを飲むおじさんおばさん、そして若者というような「個」の人間の顔を思い浮かべなくても、余裕の選挙で当選を重ねていけたのでしょう。あとは淡路島ワンダーランドパソナさんとの関係かな。普通に選挙で揉まれたら、もう少し想像力は豊かになったのかもしれませんが、残念でした。
さて、論理的整合性を突き詰めるのなら、政治もAIにやらせればよいのです。700人超の国会議員など必要ありませんし、ましてや、こんなめんどくさい代議士たちを選ぶために、膨大な手間と費用と人間の興味関心集中を削り取って行う選挙など行わなくて良いのです。
しかしながら、人間というものはそんな単純に割り切れるものではなく、政治とは各個人がそれぞれ意思や感情を持つ中、それにまみれてのたうちながらやるものなのでしょう。だから面白いと思います。
そして、本件に関して粛々と業務を行った内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室のいたいけな官僚のみなさん、トップの大臣がこのような論理モンスターお化けのパワハラ上司だと大変です。お察しします。
こりゃおかしいですぜお頭、と止めるのがニッポンの官僚の美しい姿だと想いますが、流石にこれまでの国会答弁などを見ても、トカゲの尻尾切りが過ぎて、官僚が詰腹を切らされる事例が多いので、諫言は無駄だと合理的に割り切ってしまったのでしょう。こっちのほうが国益的に圧倒的に深刻です。パワハラ大臣は別に更迭すれば代わりなどいくらでもいますし、選挙での洗礼も受けるのでゆるやかとはいえ淘汰されていくのが世の常ですが、日本の政治や外交、行政を足元から支えている一般公務員たちの士気をこれ以上下げるのは好ましくありません。
官房副長官時代からパワハラ系で有名だったと言われる西村大臣、自分がイケてると思っているいけ好かない(失礼)通産官僚のまま大臣という職責を担うことになり大変なのはお察ししますが、自分に対して大きな力を還元してくれた、それ以上に諫言してくれた人を遠ざけ、あまつさえ恫喝し続けてきた報いなのでしょう。
今回のこの文書を作るようなお仕事を受けた場合、「これはヤバいことになる」と思った内閣官房の官僚はいたと思います。しかし、諫言しても、「つべこべ言うな、やれ」と言われるだけだし(通常運転)、「指摘して怒鳴り散らされたら割に合わないし、メンタルに悪いだけだ、出世にも響くだけ」と思ったのでしょう。人間関係は合わせ鏡のように、やったことがそのまま返される、よい事例だと思いました。おわり。