塾もスクール講義形式から急速に個別指導型に特化してきていてこの分野も講師不足が深刻という話です(2019/07/21)
おはようございます。
2019年7月の昨今の教育、学習塾事情に関する筆者独断の感覚に任せた配信記事です。
塾もスクール講義形式から急速に個別指導型に特化してきていてこの分野も講師不足が深刻という話です。
主体的に学ぶということはどういうことか、ということについては、筆者も近くの働き方想像空間的喫茶店を溜まり場に、そういうことを語り合うミニセミナーや離島に1日訪問した上でのワークショップのようなものをやっているので、肌感覚としてよくわかるのですが、夏休みシーズンに入り、どうやら大手の進学塾や教育機関についても、従来型のスクール形式での夏期講習、といった講義形式ではない徹底した個別指導や、授業のIT化(情報技術化)など多彩なノウハウを駆使したカリキュラムやサービスが出てきて人気を博しています。
明治時代、いやよく考えれば江戸時代の寺子屋時代から連綿と続く、黒板に向かったスクール形式の授業というものが、大きな転換期を迎えているようでなりません。
まず、東証一部上場企業の東京個別指導学院(企業コード4745)を見てみましょう。
こちらは、1対1や1対2の指導で授業を進める形式です。
そして、生徒との対話を徹底的に重視するスタイルで、受講料も、比較的(人件費がかかるゆえに)高いものとなっています。
それでも、対話力というサービスを得たい保護者の人気は高く、そして、供給側である東京個別指導学院の方が、学生講師といった教授サービス側を確保できないくらいに申し込みが多いということです。
確かに、学ぶツールはたくさんあるけれども、その人個人が、どうやって学んだらいいかの方法論や、勉強のやり方を教えてくれるという機会は、意外なほど少ないのです。
一体、どのような教材を使って、どのくらいのレベルに戻ってやり直せば、スムーズに学び直しや新しい単元に入っていけるのか、そこが興味のあるところなのです。
一旦、自学モードに入れば、あとは静謐な環境や時間を与えれば、生徒は自学のモチベーションに沿って必死に勉学に励みます。
実は、そうした目的意識ができて固まった生徒に対して、無理してスケジュール通りのカリキュラムや授業震度に沿って、受け身の授業を受けさせない方がかえって良好な成果が得られる、と筆者はこれまでの経験から固く信じています。
ということは、別に塾に行かなくても、自分にとって勉強のやり方を教えてくれるコーチングの先生を得られれば良いわけですが、そのメンターともいうべき「いろいろ聞ける先生」を見つけ出すのが大変な困難を伴います。
より多様な、「コーチ」の中から自分にあった先生へリーチできるような組織力があるのか、また「学習したい」生徒や保護者とそうした塾側をうまく繋げるスタビライザーやリエゾンといった役回りを演じる、地域の保護者の集まりやネットワークを司る、そういった地域町おこし隊的な人物の存在が、そうした地域教育におけるキー「鍵」になることは間違いないと思います。
中学生や高校生の、一生を左右する「進路指導」について、40人もの教室を担任する1人の職業教諭が完璧にこなせるということは、どう考えても全く無いわけですから、個々の生徒やその保護者は、その生徒の人生を真剣に考えて、ぜひ外の世界に勇気を出して踏み出して、いろいろな「知見」「ネットワーク」「大人の世界」というものに触れてみて欲しいと思っています。
昔の、かつて地域に遍在した個別の自学型塾というものは、大手学習塾とは一線を画してそのような「人間教育」に全力を振り向けておったという感触があるのですが、昨今の働き方改革という名の職場環境ホワイト化運動により、学習塾の世界も、なぜか週休完全2日だの、深夜早朝における授業は(講師側の事情で深夜労働になるので)できなくなるなど、いろいろと制約が多くなってきていることは否めません。
結局、人は人が教えるしかない、確かに「何を学びたいか」がわかればITや教材を駆使して高速で学ぶ方法論は豊富に用意されているけれども、結局その前に、何かを学びたいかという内からの欲求がなければ、いくら豊富な教材を与えても土台無理なわけです。
牛を水飲み場に連れて行くことはできるけれども、水を飲ませることはできない、ということです。
水は飲むな、部活といえば週休0日、正月3日だけ休み、それが当然のうさぎ跳び、という環境で育った昭和生まれには、思い切って勉強もできないのかよと思いますが、昨今世界中のあらゆる地域業界業態で浸透し尽くしている感のある一律ホワイト化による「弊害」もまた、じわじわと出てきているのではないかと思える筆者からの感想記事は以上です。
(2019年7月21日 日曜日)
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