自分のことは自分でする

じぶんのことは、自分でする

50年近く生きていて思うことがあります。

世の中の成人は二種類に分けられるというか、二種類しかいないということです。

「精神的に自立した大人」

「子どものままでいる人」

です。

精神的に自立した大人は、

・思考することをやめない

・なぜ、という問いかけが常に自分の言動の中にある

・自分の今選んでいるものの理由を手短に明快に説明することができる

・人のせいにして逃げない

・人の目を見て真摯に謝ることができる

・自分の感情と体調をコントロールできる

・お金が無くなることにびくびくしない

・親や保護者のコントロール下に置かれない

・自分の立場をわきまえ、他人との境界線をしっかりと引くことができる

・知らない人、会ったことのない人のことを気にしない

・自分から争いを仕掛けない

・泣く、怒る、悲しそうな顔をする、人の質問に対して黙る、といった幼児性がない

・他者と自分の人格や持ち物を比べることを無意味なことだと思っている

・自分の力量を現実的に把握している

・自分という人間が完璧ではないということを自覚している

・人を責めない(自分自身を含む)

・「人になになにしてもらえなかった」「ずるい〜」といった、さもしい受け身の思考を持たない

というところでしょうか。

人生を豊かに生きるために究極的に必要なことは、精神的な自立しかないと思っており、要するに、自分のことは自分でする、という言葉に集約されると信じています。

誰か特定の存在が無いと自分が倒れるようでは、自分の人生を生きられないで終わると思います。

ただ、そうでなくても別に不幸とは思わなくて、仮に自分で作った着ぐるみを着たまま荼毘にふされる人もいて、それはそれでめでたいことだな、とも思います。

私自身は、完璧ではない人格を、だからこそ、よりよい方へ近づける努力を、人間として重ねていきたいと思って日々生きたいと思います。

その努力とは、よく巷で言われているような歯をくいしばり死にかけるような特殊な体験ではなく、例えば、

靴を揃えるとか

道で目の前に落ちているゴミを拾うとか

人の話をよく聞くとか

ご飯をよく噛んで味わいながら食べるとか

静かな場所ではうるさくしないように心がけるとか

昨日お世話になった友人にはありがとうの連絡からはじめるとか

朝一番には、命の入り口である口を綺麗にするために念入りに歯を磨くとか(これ始めたのは最近)

そういう些細なこと、細部に魂は宿ると思います。

毎日の自分の暮らしを丁寧に続けることが自分の人生を生きるということだと解釈して、目のままの片付けや掃除、整理整頓に断捨離、を初動早くやりつづけて涅槃の境地に至ろうと考えております。

当たり前と言われることの継続から全てが始まる。

それでも、

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という広告にワクワクする筆者からは以上です。