マスク大国日本

カタール2022ワールドカップが開幕しました。観戦者(感染者じゃないです)はもちろん、みんな、マスクしてません。日本だけが世界から取り残された、最後のマスク大国となっています。

花粉症対策などコロナ前からマスクをつけて生活することに違和感を感じていない人々もいたわけで、ある意味でそういった人々の生活様式がコロナによって日本全体に拡大したということなのでしょう。

このマスクでの生活は法律によって規制されているわけでもなく、あくまでも「お願い」にすぎません。しかるに、ほとんどの店舗の中ではマスクをつけることが推奨されているし、つけていなければ出入り禁止もあり得ることを考えると、「郷に入っては郷に従え」ばりに無言の圧として、マスクをつけることになっているわけです。日本の同調圧力の強さを感じますね。

結局のところ、政府の諮問機関も未だにマスクは必須だし有用との姿勢を崩していないし、マスクをつけることの有効性は別に費用や手間や他のネガティブな要素を全く考慮に入れないなら否定はしないけど、ある意味そうした機関の意向も同調圧力の答え合わせにもなっているのです。

コロナとの共存を進めるのであれば、マスクをしない生活範囲の拡大についても議論を進めるべきですが、そこは一旦手に入れたコロナ利権を自ら手放す人もおらず、こうやってだらだらマスク生活が続くのだろうと思います。

そもそも、自分で考え判断し、自分の責任でリスクと向き合うという事をしない国民性で、少なくともこの数千年やってきた民族性があります。

自分で決めずに、皆と同じ事をして、何も変えずに現状維持しているのが、自分で考える必要が無いので楽、というか積極的に自分では考えないようにしているように見えます。

加えて、リスク耐性が低過ぎます。様々なリスクと比較してリスク分析を行い、どこまでのリスクなら許容するという、個人の判断が出来ない、というか、積極的にしないわけです。リスクを天秤にかけて判断する考え方がほとんどありません。

総じて、自分なりの哲学と言うか考え方が確立しておらず、判断の根拠を構築できないため、誰がどう見てもわかりやすいものに頼って、安易で無難な事しかしません。

現状を見るに、日本人は自己と他人との境界線が曖昧で、自分で考え判断し選択するという文化が、まだまだ未発達なのでしょう。出る杭を打ちまくり、長いものには巻かれて、石橋を叩くだけで何もしない。その上、自分では何も変えられずに誰かが変えてくれるのを待っている。他力本願なだけだとも言えます。

批判していません。ただ感想を述べただけです。

以上