ヴェンゲルとトルシエ

ヴェンゲルがトルシエを日本協会に紹介した

アーセン・ヴェンゲルがフィリップ・トルシエを日本サッカー協会に紹介したという話が好きです。
アーセン・ヴェンゲル(Arsène Wenger、1949年10月22日 – )は、
ドイツ(アルザス)系フランス人のサッカー指導者です。
日本では、低迷していた名古屋グランパスエイトを率いて天皇杯(1995年)を獲得しました。
その後はイングランド・FAプレミアリーグのアーセナル監督を長くつとめました。
ポゼッション志向が強く攻撃的でスペクタクルなサッカーが身上です。
「アーセン」はアルザス語で、フランス語の「アルセーヌ」にあたります。
英語表記では「アーセン・ウェンガー」が正確な発音になります。
サッカー選手としてキャリアをスタートします。
アマチュアを経て、ストラスブールでプロデビューを果たすも大成することはありませんでした。
引退後は監督としての道を歩み始めることとなります。
ASモナコ時代に7年間も監督を務め、アーセナルで10年以上に渡って指揮を執りました。
ちなみにイングランド国外の監督として初めてリーグ制覇をしたことでも有名です。
ヨーロッパのクラブ監督としては異例とも言える長期政権を敷く事からも、彼が集める信頼の厚さが窺えます。
マルセイユ八百長事件の際は、さまざまなしがらみの中、告発するかどうか悩んでいたクロアチア人監督のボロ・プリモラツの相談を受け、強く後押ししたとのことです。
その後契約した名古屋ではチーム構成に関する全権を委ねられ、それを余すところ無く活用します。
ドラガン・ストイコビッチ、小倉隆史、浅野哲也など代表級の選手を抱えながら最下位争いを続け自信を失っていたチームに対し、ヴェンゲルは「常に長所だけを生かすようにする」という勝者の精神を植えつけ、1年で天皇杯優勝に導いた(アーセン・ベンゲル『勝者のエスプリ』日本放送協会出版、1997年、110貢より)。
1995年Jリーグ最優秀監督賞を受賞。
こうした日本における経験(欧州とは全く違った環境において積んだ指導者経験)は、その後、多国籍軍団として名を馳せるアーセナルでの指揮に寄与する事となります。
日本に10年留まるかヨーロッパに戻るかを選択肢として持っていたが、ヨーロッパチームからのオファー内容が、ヨーロッパでの実績のみを基にしたものであったことから、日本でのキャリアに限界を感じヨーロッパに戻りました。
イングランドの名門アーセナルを新天地に定めた彼は、ここでも成功を収めイングランドに外国人監督の新風を吹き込みます。
なお名古屋時代からアーセナルに至るまで、ヘッドコーチにはボロ・プリモラツを置いています。
特に、マンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファガーソン監督やチェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督と始終舌戦を繰り広げています。
チームの財政事情もあり、ビッグネームではなく若く有望な選手を獲得するアーセナルの方針に最適な監督であるともいえます。
時おり眼鏡をかけ、明晰な頭脳をもつことから、ついたニックネームは「ウィンドウズ」。頭が良く冷静で、粘り強く人と接し、よく人の、特に若い人の長所を見抜いて活かす手腕に長けています。

これぞと思う人物を自信を持って推挙する

さて、この名将と言われるアーセン・ヴェンゲルがフィリップ・トルシエを日本代表監督へ推薦したといわれることがあります。確かにトルシエを日本サッカー協会へ推薦・紹介したのは当時のフランスサッカー協会副会長であり、ヴェンゲルは直接には関与していません。
ただし、ここからが重要なのですが、ヴェンゲルはトルシエと知り合いであったことから、その人物・性格などに関する情報を日本協会へ与えたとも言われています。そして、それはほぼ真実だと思います。欧州サッカー指導者の評判や実力について、ほぼ何も知らなかったはずの当時の日本サッカー協会の面々において、ヴェンゲルの助言やサポートは、おそらく涙が出るほど嬉しかったのではないでしょうか。
哲学者ヴェンゲルは、日本協会にトルシエを紹介するにあたり、彼ならば日本代表と一緒に坂の上の雲を目指して進んでいけるだろう、というようなことを言ったのでしょう。自らは欧州名門クラブの事実上の終身監督、だから直接に自分は行けないけれども、縁ある日本のサッカー界のために、自らがこれぞと思う意中の人物を強く推挙し、その就任を後押ししたわけです。
これこそ、稀有な指導者でありコーチであると言えるでしょう。その後日本代表、そしてトルシエ監督双方に、まさにスペクタクルな結果をもたらした、2002年日本韓国でのワールドカップ。本当にいい戦いであり、記憶に残る挑戦の足跡でした。
筆者も、そんなアーセン・ヴェンゲルにあやかって、これからも、これぞと思う人物を真にそういった人物を求める組織や人に、自信をもって推挙していきたいと思います。
これぞまさに人と人との縁。大きな達成だと感じ、強く自らの誇りとしたいと思います。
良き仲間と、大きな挑戦を、なさいませ。

★選手経歴★
 
ストラスブール 

★指導者経歴★

ストラスブール(フランス)・ユース監督1981-1983
カンヌ(フランス)・アシスタントコーチ 1983-1985
ナンシー(フランス)・監督 1985-1986
モナコ(フランス)・監督1987-1994
名古屋グランパスエイト(日本)・監督 1995-1996
アーセナル(イングランド)・監督 1996-

★タイトル★

☆モナコ時代☆

フランスリーグ優勝(1988)
フランスカップ優勝(1985,1991)

☆名古屋時代☆

天皇杯優勝(1995)

☆アーセナル時代☆

FAプレミアリーグ優勝(1998,2002,2004)
FAカップ優勝(1998,2002,2003,2005)