(2020/03/05)「変化こそチャンス」「逆境こそ挑戦の時」と思えばつらい状況も関係なくなるという課題解決の話をします

2020年3月5日

おはようございます。

2020年3月の配信記事です。

初めての試みなのですが、昨今の経済情勢や動画情勢?に鑑みまして、今後どういう風にこの「表現」の世界が発展してくかというようなことを考えたところ、どうやら、現実世界の「歴史」と同じように、先に事実や事象があって、それを書き留める、というのが普通の歴史書の流れなわけだと気づきました。

ヘロドトスの「歴史」しかり、日本神話の「古事記(ふることのふみ、こじきとは読まない)」「日本書紀」しかり、それまでにあった出来事や語り継がれてきた神話を記載しますという形式で歴史書というものができている以上、この小さなブログについても、もちろん筆者の頭の中に「言いたいこと」「伝えたいこと」が先にあって、そしてそれを脳内で言葉にしてから文字に書き起こしているというわけです。

頭の中で言語化してから、文字にしてワープロソフトで叩き込むまでの時間が、PCもしくはスマホ訓練により非常に短縮化されているとはいえ、やはり脳内で再生された言語化された瞬間の「表現」こそが、もっとも読者というか世界に訴えたいことであり、このできるだけ新鮮な、生のままの表現手段を先に出しておいて、それを記録する形での記事という風にしたほうが、より伝わりやすい、といいますか究極には筆者の自己満足に過ぎない承認欲求を満たすことになるわけです。

さて、歴史書の記載方法として、これまで最強だったのは「紙」に「文字」で残すという方法でした。

紙は保存がきくし、文字はだいたい1,000年以上経っても解読できるので、非常に優れた記録媒体、ツールです。

しかしながら、最近では、AmazonさんとかGoogleさん、Microsoftさんといった超巨大組織(といっても成立してたかだか30年程度ですが)が、世界中に電気で動くサーバーという情報保存機械を建てまくっているおかげで、このユーチューブ動画のように、そのまま、しゃべっている人間の身振り手振りから、しゃべっている言語の「字幕」までほぼ自動的につけてくれるという便利な世の中になりました。

これを利用しない手はありません。

世界中で同時に核戦争が起こって、全世界の災害用バックアップサーバーも同時に焼失するようなことがない限り、おそらく、何らかの情報端末からこうした生に近い情報動画を取得して、今の時代はこのようなものであった、ということを遠い未来の我々のご子孫たちが解析できるような世の中になればいいと思っています。

そういう意味で、筆者も動画でまるでそばの人に、飲み会で語るようなことをしゃべって、これをブログ記事で記録していくというような形のほうが望ましいと思いましたので、しばらくこのやり方でやってみようと思うわけです。

しかしながら、こうした高度に発展した「文明」というのは、成立するのも早いですが、何かの拍子で崩壊してしまうのも早いものでして、例えば、エジプトのギザにあるピラミッドなど、これが何のために作られてどのような方法で作られたか、実はほとんどわかっていない、というようなこともあるわけです。

超科学文明というのであれば、このギザのピラミッドが一番古いのに最も精工であり、時代が下るにしたがって、世界各地のピラミッドは、小さく、形状も不格好な、そのようなものに成り下がってまいります。

つまり、技術の伝承がなされず、世界は、少なくともピラミッド建設技術という一つの技術的頂点ははるか昔の紀元前に達成され、そこからはゆっくりと下落の道をたどっている、そのようにも言えるのではないかと思うわけです。

さて、本日のお題ですが、「逆境」というものにしました。

以前、「虹を見たければ雨を楽しもう」的な深イイ言葉を紹介して、それが一部に好評でしたので、同じようなフレーズで、「逆境こそ挑戦、成長の時」というようなものにしました。

逆境ナイン、という面白い初出は漫画の本がありまして、これは実写映画化もされた隠れた名作なのですが、全力高校の不屈闘志が主人公で、高校で野球部を作り勝利を目指すのですが、この野球部に、あらゆる災厄、逆境が降りかかるのです。

それを文字通り全力で立ち向かっていく、チャレンジ、挑戦していくという、非常に汗臭いお話なのですが、昭和の時代というものは、かように今の令和の時代には考えられない、超絶な背景や環境を世界観に織り込んで話を進めることが流行っておりました。

逆境、それは仕事でも家庭でもプライベートでも、要するに主体的に人生を担い責任をとろうとするみなさん全体に、常に降りかかるものなのです。

安定した小さな幸せにほっとするのもつかの間、目指すべき方向を定めて進もうとしている瞬間、そしてそのような「変化」など求めていなくても、ささやかな現状に満足していても、それでも、世界は残酷にも逆境という名で突然襲い掛かってくるのです。

2002年ITバブル崩壊、2008年リーマンショック、2011年東日本大震災、そして2020年新型コロナウィルス..。

次々と襲い掛かる、あまりにも理不尽としかいいようのない「逆境」に対し、それでも、できるだけ他人や環境のせいにせずに、自らの、不屈の闘志で乗り越えていこうではありませんか。

時代の半歩先を見据えた俯瞰した視点を持ち、泰然自若と構え、深呼吸をする。

そしてなんといっても挑戦です。

ファイティングスピリットを燃やしましょう。

変化こそチャンスと任じ、そしてどこまでも切れない図太い神経で、逆境に立ち向かいましょう。

そして、逆境にのまれそうになっても、対応が失敗に終わっても、それでも逆境に「挑戦した」「挑んだ」ことに誇りを持ち、挑み続けましょう。

あなたの人間力が試されています。

あなたの人間力を評価するのは、あなた自身なのです。

死ぬという、人生の完成形を目指して、できるだけ、自分の心に正直に、挑戦する気概をもって、この世間の荒波を乗り切っていただければと願います。

新型コロナウィルスで本当にめげそうになっております弱い筆者からのコメントは以上です。

(2020年3月5日 木曜日)

(2017/08/03)修羅場をくぐったという経験が糧になるという人の人生に学ぶ話です(江川事件の小林投手)