(2019/11/18)西南学院大学商学部において「会計学」というテーマで社会人講師として参加型講義をしてきました
おはようございます。
2019年11月の、大学での講義を「する方」に参加しました、というレポート記事です。
西南学院大学商学部において「会計学」というテーマで社会人講師として参加型講義をしてきました。
西南学院大学、という鎮西福岡に100年以上の歴史を持つ、キリスト教プロテスタント派、バプテスト(Baptist)教派の流れを組む私立大学において、商学部の講師の先生の持つ1回生、2回生の学生(それぞれ15名ずつくらい)に対して、90分の授業をそれぞれに対して、要するに、90分×2コマの「講義」を、筆者と筆者の同僚1名と一緒に行うという形式にしました。
ちなみに筆者の実家は、禅宗曹洞宗派の寺院の檀家です。
社会人を招いての講義というのは、いろいろな大学で取り組まれていることですが、こちらとしては事実上大学の教壇で話すことなど稀なので、どうしようかといろいろ迷って考えた結果、やはり「質問を受ける形式」にまさるゼミ方式はないだろうと思いまして、このようにさせていただきました。
それというのも、この2019年の令和元年の世の中におきましては、インプット方の学習方法としては、それこそユーチューブだのGoogleだのスタディサプリだのといった、「神授業」やユーチューバー中田の日本史お宝講義動画などがあふれておりまして、今更個人ベースの知識やノウハウで、一方通行の「与える」形の講義をしたところで、競争優位は保てないし、また講義とは、受ける側と一緒に作り上げていく共同作業であり、そのライブ感が面白くて皆リアルに大学なりに登校してきているのだと考えれば、自ずと、学生側からできるだけ「問い」を立ててもらって、それに答える、少しだけ一般化して敷衍するという形で進めた方が断然、講義をやる方も受ける方も面白いと感じたのです。
そこで、会計の概念、という複式簿記という悪魔的な発明で神羅万象の世界中ありとあらゆる「事業」というものを数字に引き直して通訳できてしまう手法、ツールであるという通り一遍の話をさらっとした後で、自由に学生から問いを受け付けるという形式にしました。
なかなか日本の真面目な学生さんから質問をもらうのは難しいです。
しかしながら、グループワークで考えてもらう、目を見ながら微動だにしない、というような社会人耐性により鍛えられた各種の「技」を駆使しながら、なんとか少しずつ雰囲気をアイスブレイクして、だんだん質問がスムーズにもらえるようになってきました。
ともすれば、講師側にとっては沈黙が怖くて喋り続けてしまうのですが、それをあえてやらずに、こちらのコメントは要点だけでぶつぶつにぶった切って、すぐ「質問タイム」に戻るということを繰り返すことで、最初の方はぎこちなかったのが、意外に質問が出てくるようになり、双方向の演習といった感じになりました。
こうなると、時間が経つのが非常に早くなります。
ここで、気持ちよく具体的なことを喋り続けてしまうという誘惑に抗しながら、あとでググって調べといて、と黒板に書いて講師側の話はさっくり切って、質問とその回答を高速で回すことに集中します。
こうして、90分の講義はあっという間に過ぎました。
意外に、疲れたという感じもなく、また質問したことに対する(講師側の)回答、という風に講義が進むので、興味が削がれることなく時間を有意義に使えたのではないかと思います。
ここで狙っている本当のポイントは、学習とはインプットだけではだめで、アウトプット、自学して演習して成果物を自ら提出して衆人に晒す、このような取り組みも車の両輪として非常に必要であるということです。
「会計」は質問の導入に過ぎず、これはどのようなテーマでも本当は良いわけです。
できるだけ、このインプットアウトプット双方に資する形で、大学の講義やゼミは運用されるべきであり、そのためには、学生さんには「問いを立てる能力」を磨いてもらいたいし、そもそも講義を作り上げていくための「コミュニケーション能力」を、修羅場をくぐって高めていってもらいたいものです。
修羅場といっても、衆人が見ている中で、自分の「問い」を発言するということだけなのですが、これがなかなか同調圧力の強い集団ではできません。
1回生の講義では、なんと学生全員が、教室の「後ろの方」に偏在して座ってしまいましたので、講義側の我々二人は、学生側に「寄って」目の前の机で寄り倒すような講義、というか質問の受付を行いました。
2回生になると、なんとなく真ん中の方に座ってくれたので、左右前後ろをうろうろしながら、包囲網を敷きながら質問を受け付けることができ、質問の収穫率もかなり高くなり嬉しかったです。
このように、オンラインでのインプット学習ではできない、本当のリアルなコミュニケーションを取れることが、講義やゼミの本来の有用性であるということを、繰り返し繰り返し原点に立ち戻るように言い込み、解決方法(ソリューション)を提供するのではなく、問い(クエスチョン)を立てることができる人材をこれからの社会は、国家は、世の中は、会社は求めているというメッセージをしつこく手を替え品を替え、訴えてまいりました。
少しは伝わっていればと思います。
最後に、光陰矢の如し、君たちも、もう「すぐ」に、「令和生まれ」の出現に驚くことになるだろう、その時を楽しみにしておけと予言して、1日1日、一瞬一瞬を大切に、勝負して生きてください、と締めておきました。
かつて「平成生まれ」が社会人として登場してきたときに、衝撃のあまり寝込みかけた記憶が生々しい、そんな昭和生まれの筆者からのコメントは以上です。
「カレーを目に入れる程度でパワハラとは片腹痛い」
「昭和のそれなど、ここでは言えないレベルだから」
こちらからは以上です。
(2019年11月18日 月曜日)
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