疲れる前に休む(寝る)

寝るのが最強
(2019/11/19)疲れる前に休む(寝る)ことを強くお勧めする話です(質の良い睡眠の話)
おはようございます。
2019年11月のかつてビルメン王と称しておりました45歳男性の配信記事です。
この年になっても、いやむしろこの年であるからこそ、自分への投資というかご褒美となる自分自身で学習したり調べたりトレーニングしたりする時間を毎日取るということは非常に大切なことです。
小学校中学校高校くらいまで、多くの少年少女は部活動に入って運動やスポーツ、それから芸術的な文化部活動に勤しみます。
身体を鍛えるということで、例えば高校野球球児などを例に取れば、朝は5時台に校門を潜り、体を解(ほぐ)してから準備運動、全体練習、そうしてピッチャーとか外野とか内野とかいったパート別の守備練習、バッティング練習と移っていきます。
これらを、授業が始まるぎりぎり直前までやります。
放課後は、午後の授業が終了した後のホームルームが追われば、即部室に集合し、個々の道具の整備から試合形式の練習を見越した道具設備出し、グラウンド整備(グラセン)を行って監督コーチ、上級生の「ご来場」を待って帽子を取って挨拶しながら黙々と準備します。
そうして、深夜の筋力トレーニングまでみっちり、部活動に時間を費やすわけです。
食事は1日5食。
水は飲むな。
これが当たり前な昭和生まれの部活指導でした。
このように、人生の初期段階において、人体成長のごく初期段階において、かなりハードなトレーニングを課し、そうして甲子園全国制覇、というかなりリスクの高い、ハイリスクな、危険すぎるギャンブルに親子、一族郎党みなみなこぞって身を駆り立てるわけです。
さて、スポーツや芸術で一番を狙うということは非常にワクワクするし、アドレナリンも出ます。
しかしながら、その人が、社会人として、その「技」や「技能」でずっとやっていこうと思うのであれば、その自らが示す「技」や「技能」「振る舞い」を、一体何人の人たちが、楽しみに見ているのかをあらかじめ「測っておく」のは非常に大切なことになります。
これは、市場の裾野の話でありまして、例えば、全世界でもっともプレイされている、興味を引いているスポーツは、サッカーです。
次は、野球、と思われるかもしれませんがそんなことはありません。
次は、特にインドなどで国技並みに扱われている「クリケット」なのです。
クリケットの超一流選手がもらう年俸は、日本プロ野球機構の一番年俸の高い選手の、軽く5倍10倍となっています。
なぜかと言えば、日本の熱狂的なプロ野球ファンが、1億2千万人の日本人の中から出てくるのに比べて、12億人以上いるインドの国土中にひしめくクリケットファンからの「注目」が金銭的価値=すなわちお金、年俸に反映されるというわけなのです。
クリケットの試合のスポンサーや協賛企業の広告は、全インド中に中継されるクリケットの優勝決定戦に、それこそ数時間に渡って掲出されつづけます。
こういうこと(環境)が、自分がやっていることの「価値」「金銭的報酬」につながっていくというわけです。
これは、スポーツに限らず、神羅万象にひしめくありとあらゆる事業や仕事や業務と報酬とのゆるやかだけれども厳然とした相関関係として説明できます。
価値とは、人の目を引く、人の興味の対象になる、人の役に立つ、人に好意的に見られる、ということと同値なのです。
そうして、その価値をはかる物差しとなる「人」は、ほぼあらゆる人を含む「平均的な」人ということになります。
特定の層、例えば金持ちとか貧乏人とか特定の宗教カテゴリに属すといった、カテゴライズされない、全世界の平均的な人物像ということになります。
ですから、Twitterのフォロワー数が、その人の影響力≒当該フィールドでの存在感にほぼ比例して受け入れられるのです。
あいつのフォロワーはレベルの低い人ばかり、あの人のフォロワーはレベルが高い、という「議論」はあまり参考にならずに、絶対的な「人数」によって左右される、厳然とした、戦術も奇策も必要のない、(非常に高度に一般化標準化された)人の評判や信頼、興味を得られるかどうかという影響力競争のフィールドに、みなさんも筆者も否応なく立たされているということでもあるのです。
このような、社会政治学、行動様式理論と実践をつなぐアプローチとして、筆者が現在取り組んでいるシェアオフィスやオンラインコーチングといった世界での影響力調査や研究は、非常に面白い取り組みでありまして、その一環で、地域(特に田舎)の居場所作りやまちづくり、場作りなどを実践することが大事だと思っています。
なお、このように考えるといつも動き回っていなければならないと考えてしまいがちですが、最も大切なのは、定期的な休息、つまり有り体に申し上げると寝ることです。
ある程度習慣的に、強制的に定期的な休憩を取って作業や業務に集中して取り組んだ方が、実は平常時(ずっと業務に精励する)場合に比べて、ミスが半分以下に減るなどの実証実験の結果も(働き方改革の研究結果として)報告されています。
こういう「知見」を広く広めて、休む=生産性を下げる、サボる、といった間違った認識を改めてもらうというのが、筆者なりの理論と実践をつなぐアプローチだと考えています。
要するに、「疲れる前に休む」というのを愚直に実践すべきだということです。
愚直にできない組織や所属母体からの同調圧力には、しっかりとした「理論」で反駁し、むしろ生産性を高める効果的な方策であることをきちんと説明して、これを実践していきたいものです。
疲れる、という自覚症状はかなり重度のもので、実は、「飽きたな」と感じる時点ですでに疲れている、疲れたと思ったらもう重症だとのことだそうです。
かように、疲労とは、脳の方に原因があることが多く、脳の神経がすり減り疲労が蓄積してしまうと、脳自体が傷つく、物理的に傷がついて広がるということだと思います。
それを回復させるためには、身体の方から「運動」して体と脳という二つの身体の部分をまとめて疲れさせて、よく寝て脳を一緒にリフレッシュさせるのが一番だと思います。
脳が覚醒したまま眠ろうとしても、なかなかこの脳は真面目で休んでくれないのです。
そして、一番よくないのは無理して頑張ってしまうことであり、一気に悪化します。
同じ怪我でも、骨折したら誰でもギプスをはめるのに、脳の物理的な損傷や異常を関東精神とか精神論、根性論で何とかしようとするのはまったくもっておかしいということです。
ということで、筆者は45歳にしてようやく睡眠の量と、ついでに質についても気を遣って生きるようになりました。
バイブルは、いつも21時に就寝する(起床は5時半)真面目な教授の姿を描いた古典的漫画「天才柳沢教授の生活」です。
それでは、本当に長くなりましたが今日はこの辺にいたします。
こちらからの雑感は以上です。
(2019年11月19日 火曜日)
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