心の支え

豊臣秀吉が、晩年おかしくなった理由は

やや地味な回答になりますが、私は弟の秀長か病死したことが大きいのではないかと思います。

秀吉は判断に困ることはよく秀長に相談していて、兄弟でしかわからない心理的支え合いがあつたのだろうと思います。

秀吉の側近といえば黒田官兵衛ですが、彼の場合、荒木村重に監禁されて足を悪くしてしまった時、秀吉は安全なところにいたということへの恨みがどうしても残っていて、秀吉もそこは後ろめたいですから、完全には心を開き合うことができず、特に、心理的安定には秀長と話し合うことが非常に大きかったということではないかなと思うのです。

秀吉の晩年の愚行には、朝鮮侵略、秀次一家惨殺、石川五右衛門親子で釜茹でなどがありますが、全て秀長の死後のことです。

この説は有力な気が致します。

秀長公は優秀で温厚な弟だったと聞きます、相当な心の支えだったのでは。

歳を取って衰えを感じる中で、トップとしての重圧と孤独感は天下人として相当なものだったのではないかと。

もしかしたらギリギリの所で持ち堪えて来たのかも知れません。

それが大事な心の支えを失ったとしたら、と言う気が致します。

何にしても、心の支えというのは必要なのだと思います。