2020年2月8日
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テキーラサンライズ |
おはようございます。
2015年11月の遠慮を知らない配信記事です。
筆者のようなかなり遠慮を知らないものでも、一杯おごってよと年下に頼むのはなかなか憚られます。
先輩とかたると称して先輩にたかるというのはよくやりますが、なかなか部下や後輩や子供や新人にねだることはできません。
と一般的に思っておりましたが、最近衝撃的な名言を目にしました。
つまり、「一杯おごって。その分私の葬式の香典から引いといて」というものです。
死して屍拾うものなし、ではなく、死して取り立て。
人は死んでもなお、キャッシュフローを生むものであるのかと妙に感心したのです。
もっと端的に申し上げると、これは、香典の前借り、または香典を担保にした融資ということになります。
人は例外なく死ぬものでありますので、この貸付は必ず回収できる、完全な担保付融資なのです。
実際に葬儀に足を運べなくても、香典を出席する人に預けるという行為は良くなされています。
したがって、その際に香典を出したつもりになれば良いのです。
一人一人の香典は確かに少額ですが、出会う人すべてを足しあげればけっこう膨大な数と金額になります。
どんな人間でも、生きてきた分だけの人のつながりはあるものです。
このように一連の考えをめぐらせますと、つくづくお金とは諭吉さんや漱石さんの紙のことをいうのではなく、異次元緩和とか言ってひたすら刷られ続ける日本銀行券のことでもなく、人が人に与える「信用」というものであるのだなと妙に納得した飲み屋の夜でございました。
これからは年上年下にかかわらず大いにおごっておごられようと改めました筆者からは以上です。
(平成27年11月12日 木曜日)