かつての関東覇者小田原北条氏に学ぶ現代日本に及ぶ統治方法(前篇)

小田原城

おはようございます。

2014年3月の統治に関する配信記事です。

我が国400年ほど昔、関東平野は牢人(浪人とも書き今ではこちらが主流ですが)北条早雲を始祖とする後北条氏が小田原城を居城として4代100年に渡り最大版図240萬石を支配する地でした。

お江戸の時代の前に、関東平野にはこの世の楽土が実現していたのです。

因みに当然正式には単に「北条氏」ですが、歴史の先達に代々鎌倉幕府の実質的頭目としての執権の地位にあった「北条氏」がおりまして、加えて直接の関係はないというのが通説となっております。

便宜上後代の史家が両者を区別するために、こちらの小田原北条氏には「後」をつけるようになったそうです。

この後北条氏は、内政統治に優れた大名として北条早雲以来、日本史上最も低いと言われる四公六民の税制を行ったそうで、歴代名君として名高いです。

現代日本も驚く完璧な官僚機構を備えていたらしい

既に今の日本の世の中が、専業軍事階級という武士階級がないのに二割所得税、三割社会保障(健康保険、介護保険、公的年金)であると言われる(なので五公五民)ことに比べても非常な善政です。

大規模な検地を定期に実施し歳入管理を徹底し、在地の豪族・国人に徴税実務を任せずにこれによる中間搾取を排除しました。

そして飢饉や戦乱の際には効果的に減税を行うといった極めて公正な政治を行い、もともとの関八州の地味に富んだ地政学上の地位にも助けられ、安定した領国経営を実現したということです。

農耕技術の発達により、室町時代までは関東ローム層という富士山火山灰が降り積もった地で停滞してきた農業生産もこの頃になるとようやく上がってきたようです。

政治のやり方としても、早くに合議制による効果に着目しており、家督相続においては正室を重んじ廃嫡騒動や家臣団の派閥化を防ぎ、意思決定においては定期の小田原評定による議論や印判による官製文書など、先進地域京都の室町幕府由来の極めて精度と効率の高い官僚制度を持っていました。

まるで昭和後期の高度経済成長を成し遂げた日本の原型を見るようです。

後篇に続きます。

(平成26年3月1日 最終更新:平成28年3月1日)

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小田原北条氏に学ぶ(後篇)


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