令和元年を控えて令和おじさんこと菅(すが)官房長官のことについて書いておきます
おはようございます。
2019年4月の大型連休の2日目のビルメン王(@shinya_ueda)提供のブログ配信記事です。
国民こぞって未曾有の怒涛の10連休をばりばり消化しておりますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
筆者は2日目にして疲れてきました。
といいますのも、所属している企業グループで運営している大型商業施設やら飲食店などを回ったのですが、客と売り側の熱気に触発され、慣れない買い物などに張り切ったからであります。
この大型連休の経済効果がいくらと試算されているかは存じませんが、国内外、旅行に帰省に観光に遊びに、それを当て込んだ仕事側と、新元号へのカウントダウンもあいまって、日本全国そうとう浮かれているようなそんな連休です。
そんな中、今日本で一番顔と名前を売ったのは、間違いなく「令和」を発表したあの菅(すが)官房長官その人でしょう。
実際、「平成」が発表された時の当時の小渕官房長官(2000年5月逝去)のことも筆者はよく覚えておりますが(当時中学2年生の冬、1月のこと)、実は、その時の総理大臣が誰だったか忘れていたので今調べました。
第74代内閣総理大臣(人としては46人目)、竹下登その人でした。
かように、新元号を発表するというのは、国民が総注目する一大イベントであり、今回の、菅(すが)官房長官の発表直前あれだけ盛り上がった国民の関心も、一旦発表されるや否や梅の花とか万葉集とか太宰府といった関連情報に流れてしまい、そのあといくら総理大臣が何を述べようと、実はほとんど誰も聞いていない、というような話になるわけです。
元号発表で有名になりたいのならば官房長官。
これはこれからも絶対に外せない国民向けプロモーション上の鉄則でありましょう。
さて、このようにいきなり令和おじさんとして一般市民にまで一気にその顔と名前が浸透した菅(すが)官房長官ですが、この方は、いわゆる二世議員三世議員といった、よく言えば政界サラブレッド、悪く言えば親の威光の世襲議員、といった国会議員ではありません。
満鉄から終戦後引き揚げ、郷里の秋田で農業に従事し集団就職で上京。
段ボール工場で働きながら学費を稼ぎ、当時の私立大学の中で最も学費が安かったという理由で法政大学法学部政治学科を卒業し、電設会社に就職し雌伏の時を過ごします。
そうして政治家を志し、衆議院議員秘書の下積みを11年経て、ようやく横浜市会議員に立候補、当選して本格的に政界入りした筋金入りの苦労人です。
この人は、他人の悪口を言わない、余計なことは言わない、酒は飲まない、派手さはない、ユーモアもなく、冗談は嫌いという、ないないづくしの人のようですが、仕事は堅実で、鉄壁の危機管理、聞き役に徹する安定感を持ち、歴代の官房長官の中で最も長くこの激務、要職を全うしています。
この人に、令和発表の役回りが回ってきたのも、さもありなんと思いました。
最強のナンバーツー、そんな呼称がぴったり来る方のような気がします。
なお、菅(すが)とわざわざ書くのは、少し前に菅(かん)直人総理大臣、という方もいたのでそう書いていますが、最近では、菅官房長官の浸透ぶりから「すが」と読む方が普通になってきたように思えます。
話をこのまま政治家で進めますと、たたき上げの政治家としては、古くは豊臣秀吉(古すぎるかもしれませんが)を習って今太閤と呼ばれた故田中角栄元総理大臣が最近注目されていますが、こちらも、「角福戦争」という戦いを勝ち抜き、政敵であった福田武夫を破って当時の史上最年少(54歳)で内閣総理大臣となりました。
尋常小学校(4年)、高等小学校(4年)までしか卒業していない「高等小学校卒」(現代で言えば中卒の1年下、満14歳の3月に卒業)の田中角栄が、旧制高崎中学(現在の群馬県立高崎高等学校)を首席で卒業し、第一高等学校から東京帝国大学法学部法律学科へ進学、当時の高等文官試験に1番の成績で合格、大蔵省に入省し、その後主計局長(事実上の大蔵省No3)まで上り詰め、昭電疑獄に巻き込まれ無罪となったものの大蔵省を退官、そして請われて政界に入ったという、まさに「神童」「秀才」「実務の天才」の名を欲しいままにした福田赳夫を破って内閣総理大臣になったのは、戦後の日本政治史における白眉、クライマックスでありました。
一方、この時破れた福田赳夫ですが、さすが先が見えている天才、「やがて日本が福田赳夫を必要とする時が来る」と豪語して下野します。
言葉通り、田中角栄の次の次の総理大臣として就任し、実務型内閣として辣腕をふるうのです。
ゴールデンウィークの休暇の中、新時代の控え、昭和や平成といった歴史を形作った人々に思いを致す時間を持つと、非常に感慨深いものがございます。
連休もまだ残り8日、まずは平成最後の「昭和の日」2019年4月29日を謹んで迎えたいと思います。
こちらからは以上です。
(2019年4月28日 日曜日)
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