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プール |
おはようございます。
2015年4月の水泳に関する配信記事です。
これぞ日本の昭和のアスリートだという話をするからよく聞いてください。
水泳の日本選手権といえば、古くは古橋廣之進選手が世界記録を叩きだした舞台で有名です。
敗戦国である日本は1948(昭和23)年のロンドンオリンピックへの参加が認められませんでした。
そこで、日本水連は日本選手権決勝をロンドン五輪の水泳競技決勝と同日同時に開催しました。
そして古橋選手は400m自由形4分33秒4、1500m自由形で18分37秒0を出し、当時のロンドン五輪金メダリストの記録および当時の世界記録を上回るという活躍を見せたのです。
そして、日本のプールは短いんじゃないのかという揶揄を吹き飛ばすべく、古橋選手は翌年1949(昭和24)年に出場した全米水上選手権の1500mで、当時としては信じられない驚異的な世界新記録を樹立したのです。
アメリカのマスコミは畏敬の念を込め「フジヤマのトビウオ」のニックネームを贈り、活躍をたたえました。
敗戦にうちひしがれていた日本国民に、やればできるという大きな希望を身を持って示した、これが古橋選手です。
時は流れて21世紀2015年の競泳日本選手権、36歳の稲田法子選手が、女子背泳ぎ50メートルを28秒36で制しました。
表彰台の左右には、13歳の中学生選手も混じっているという中、脅威の泳ぎでした。
なんと同期はバルセロナ五輪(1992年)の岩崎恭子選手で、当時は中学校2年生です。
一旦26歳で引退してから、コーチ留学した米国で再び水泳の魅力に目覚めて2009年に復帰したということです。
アスリートの、いくつになっても上手くなれる、そして勝てるとの言葉、そして勝ってしまう成果には本当に勇気づけられます。
そういうわけで少なくとも、今日一日はやればできるでいきたい筆者からは以上です。
(平成27年4月29日 水曜日 最終更新:平成28年4月29日)
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