シンガポール建国の父リー・クアンユーが逝去さる(2015年3月)
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おはようございます。
2015年3月のシンガポールに関する配信記事です。
シンガポールの元首相(現顧問相)で、建国の父であるリー・クアンユー氏が平成27年3月23日、シンガポール国内の病院で亡くなりました。
シンガポールはマレーシア連邦から追い出されるようにその半島の先で建国してから、リー氏の手腕によってアジアでもっとも国民一人あたりGDPが高くなった国のひとつに成長し、最近では、富裕層や研究者やバイリンガルであるグローバル人材を中心に日本から移住する人も増えています。
筆者が訪ねたことのある数少ない外国のうちの一つでもありますシンガポールですが、マレー半島の突端に位置する東京23区ほどの大きさしかない都市国家です。
もともとは英国領でしたが太平洋戦争で日本が占領しました。そして終戦後にシンガポールはマレーシアの一部として英国から独立を果たしますが、中華系とマレー系とインド系の民族対立が激しいなか、資源のないシンガポールは事実上マレーシア連邦から追放されてしまいそのまま独立国として建国に至ります。
リー氏は国家のリーダーとして、国を自立させるために徹底した近代化を進めました。外資を積極導入し、国家主導のインフラ整備を行い、教育を行い、優秀な若者を諸外国にフルブライト留学させ、戻して国家機関や国が経営権を握る重要な民間企業(テマセク(シンガポールの古い名前)グループ)などで働くよう取り計らいました。
工業化政策の次には、金融ビジネスに舵を切り、シンガポールをアジア有数の金融センターハブに成長させました。
その結果シンガポールは世界有数の高所得国に成長
実に現在、同国の1人あたりGDPは670万円と日本の1.5倍もあり(日本円が円安のせいもありますが)、国民は豊かさを享受しています。
このような、豊かで効率的な国を作り上げるにあたり、リー氏は徹底的な独裁を実施しました。
制度としては万全でも実際の運用では何も決められない民主制に背を向けて、言論を統制し、自らの一身に権力を集中させて国造りを推し進めました。
現在の首相はリー氏の長男であるリー・シェンロン氏が務めていますから、北朝鮮と同じく、事実上の世襲制となっています。
そして、個人の権利や自由も制限されています。特に、単純労働を行う移民は期間限定での受け入れとし、永住を認めない一方、外国のエリート層や資産家に対しては積極的に移住を推奨しているという差別的な政策です。
日本からも、資産家などが安い税金や安定した社会制度(シンガポール政府によって維持されている秩序)に惹かれる形で、シンガポールに移る人も多いようです。
共和制と専制、実はどちらの方式の方が人間社会秩序をより合理的効率的に運営管理できるか、これは大変難しい問題です。
書ききれませんので次回に続きますが統治機構に興味の尽きない筆者からは以上です。
(平成27年3月31日 火曜日 最終更新:平成28年3月31日 木曜日)
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