賭博場

万博がナウい
かね。なんか万博に違和感を感じる。賭博場建設のオープニングセレモニーにしか見えない。本尊は賭博場ですよね。公金投入の課金収奪装置としては、行き着くところまで行った感じですかね。
シンガポールでカジノに行き、ルーレット回して二回連続で勝ったので、
そこでやめて換金して帰りました。
かかる賭博の経験だけはしときましたが、
同じギャンブルなら、
株
の方がはるかにおもろいと
思いました。
そもそも万博とは何か。国際博覧会条約によれば、
「博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」
わかりにくいので、生成AIなる機械ソフトウェア、ChatGPTに平易な言葉に直してもらいました。
「「博覧会」とは、みんなに知識や学びを広めるためのイベントで、人間がこれまでにしてきた工夫や成果、これからの未来に向けたアイデアなどを見せる場のことです。」
つまり「人類が行なっている最新の成果を見せ合う場所」ということか。
一方、人類の最新の成果として世に見せられるようなものは、ほとんどの場合公的機関やアカデミーにあるのではなく、民間企業にある。
そして世に見せられる状態にあれば、発表されているはずだし、販売もされているだろう。そして、そういうものほど世界同時発売だったりするし、その詳細はすでにネットで語られている。
1970年に開催された大阪万博の時代では、ネットもないし、最新の商品が世界で一度に販売開始することもなかった。
だから万博というのは、価値があったのかもしれない。
しかし時代は変わった。
最新の情報は、世界同時にネットで流れる。
そして何よりも重要なのは、最新の技術はハードウェアではなく、ソフトウェア中心になっている点。
素晴らしい技術が搭載されたスマートフォンがあったとしても、「モノ」としてのそれは、単なる四角いデバイス、文鎮だ。つまり「モノ」を展示したところで、最新の技術や工夫の展示にはならない。残念ながら。
だから世界の最新の「モノ」を展示したとしても、技術の進歩が激しくソフトウェア中心に動いている以上、それは世界最先端の展示としてはわかりにくい。つまり、パピリオンが並び、モノを展示するという万博というスタイルは、そもそもの主旨を達成し得ないということだとも言える。
そうではなく目的は、大規模な賭博場を税金投入して作るための方便なのだとしたら、中身はどうであれ、開催された瞬間に目的は達成したので、関係者的には良かったのかもしれないけど。
しかし大阪は、そんなに博打奨励したいのか。それとも金になりさえすれば、手段はなんでも良いのか。
横浜は、「そんなのはダメだ」とはねつけたんだよな。
次はいよいよ、ほんとに大規模賭博場作るのかという議論になっていく。
ちなみにラスベガスもマカオも、いろいろ賭博ッキーな大規模都市なんだろうけど、筆者は、あんな街は好きじゃないですね。行くなら世界最先端の、限界集落か、軽く2,000年以上都やってる大阪府堺市の仁徳天皇陵古墳とか、そういうところなんじゃないですかね。
海の底だったところをゴミで埋め立てた、三つの島とかじゃなくてさ。
おわり