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富岡製糸場 |
おはようございます。
2014年5月の世界遺産に関する配信記事です。
富岡製糸場が世界遺産に登録される運びとなりました。
これは快挙です。
別途、富士山を世界遺産に登録するという話題はその申請過程からかなり話題になっていましたが、ほとんどの日本人が教科書の歴史でしか知らない富岡製糸場が何の追加条件もなくすんなりと世界遺産の審査に一発合格したことは驚きでした。
しかし、諸外国からすれば、江戸時代末期、支配階級は刀とチョンマゲ差し残りのほとんどが農民階級であったこの国で、主要な産業もろくに持っていなかった日本人が、西洋列強の圧力で「開国」してからわずか30年ほどで列強の雄であるロシアを曲がりなりとも打ち負かした(日露戦争:1904-1905年)ことの背景に、最新の養蚕技術などの工業の発展を見ることは自然なことなのかもしれません。
要するに、国内で思われていたレベルをはるかに超えた、世界に通用する産業遺産群であったということです。
そして忘れてはならないのが、ここの工女として働いた女性労働者の存在です。
彼女らはフランス仕込みの最新鋭のこの工場で、生糸生産のノウハウを学び、その後全国に設立された生糸工場に技術指導者として派遣されます。
女性の社会進出という意味で「資源を持たなかった」日本は世界の最先端を走っていたのです。
こうしてみますと、今更ながら女性の社会進出が遅れていると言われる今の日本の現状に忸怩たる思いが致します。
若年労働者が不足しているから、東南アジアなどからの廉価な労働力を「移民」させて介護や建設現場、飲食業いった現場で働いてもらおうといった論調がありますが、日本語が話せて、教育水準が高く、モチベーションと責任感の高い人材ならばそこらじゅうにいます。
必要なのは働ける時に働くということへの社会の許容度を広げることのほうでしょう。
早く仕事はリタイアして、奥さん子供といった縁者に稼いでもらい、自分は趣味の郷土史家としてでもやっていきたい筆者からは以上です。
(平成26年5月24日 最終更新:平成28年5月24日 火曜日)