おはようございます。
人生上には上がいるもので、大抵の分野でしばらくうまくいったところで、それよりはるか上がいるということがわかって必ず人は落ち込むものです。
例えば、かの年間42勝という記録を打ち立てた日本プロ野球界の大投手であった稲尾投手(西鉄)も、投手として練習生からプロになってはみたけど、ドラフト上位で入ってきた「同期」の新人投手の放る球が早すぎて目がついて行かずに、キャンプ初日でこれはえらいところに来た、荷物をまとめて帰ろうかと思ったと述懐されています。
しかし、やっぱりプロは凄い、上には上がいるということを学んで、ピッチャーは速い球を正確に投げ分けるというのではなく、打者をアウトにするのが仕事であると考え、どのようにアウトを取るか、そのためにどうやって打者に気持ちよくバットを振らせて凡打を打たせるかに集中することができたとも言っておられました。
しんどいですけれど、大変おもしろい人生です。
まさに、生きているという実感が得られたのではないでしょうか。
これは、逆に申し上げますとある集団の「ずっと1位」というのは、実は成長曲線の上限に張り付いたままになっているという意味では不幸なのかもしれないのです。
人が能力や才能の向上を明らかに感じられる瞬間は、集団の下部域外から、いきなり登場するやいなや、欄外からそれまでの上位陣をぶち抜いていくのが面白いのであって、ずっと1位なんて、期間限定の不老不死みたいで面白くないと思うわけです。
もちろん、なんにせよ簡単に一気に地位が向上するほど甘くない世界です。
しかしながら、ずっと1位になってしまうと、戦う相手は自分自身しかいなくなってしまいます。
成長曲線の上限が、自分自身の成長曲線と近似してしまうというのは、これは大変なことです。
自分の成長が業界の限界点となってしまうわけです。
いくら自分が頑張っても、業界の上限をこじ開けるだけというのは非常に孤独なものだと思います。
そして、切磋琢磨できる良きライバル、競争者がいないというのも、辛いものです。
本日は業界の成長曲線の上限に張り付いたトップパフォーマーについてのお話でした。
成長曲線の下限を突き抜けた下からハーイと登場しそうな筆者からの感想は以上です。
(平成30年9月7日 木曜日)
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