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姫路城 |
おはようございます。
2015年1月の記事です。
2015年の年始旅行編続きです。
鳥取砂丘から後は、鳥取の奥地での雪の中の宿泊でした。
よく車で事故を起こさなかったと感心する雪道運転を経て、
まるでムーミンの世界のような幻想的な宿泊施設に到着し、
朝は雪かきと車の屋根の雪下ろしを行い出発しました。
目指すは「福岡」の生みの親、2014年大河ドラマ軍師官兵衛の
生誕の地である姫路です。
姫路城は平成の大改装中でした。
まさに白亜の殿堂といってよい威容です。
大天守の中は内装工事中(という言い方は適切ではないかも
しれませんが)ということで、入ることはできませんでしたが、
長大な渡り廊下をくねくねと探検し、広い本丸二の丸から様々な
角度で大天守を仰ぎ見ることができ、大変満足でした。
満足以上に足が疲れました。
姫路は、確かに黒田家の居城だったのですが、
豊臣秀吉が西方毛利攻めの居城として入城してから、
西の防衛の拠点として、時の権力(織田豊臣徳川と変わりますが)
によって重視された結果、城の普請は進み、
城下含めて巨大となり威容を誇っていった一方、
藩主は数年で改易され、事実上江戸幕府の直轄地に近い
取扱いを受けたという説明でした。
なお、記帳台に「福岡県福岡市」などと記帳したところ、
「おっ、官兵衛の晩年だね」などと話しかけられましたので、
「ええ、その頃は如水ですが」なんて無駄に張り合ってしまいました。
まだまだ私も若いようです。
申し訳ありません。
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御着城址 |
さて、次に官兵衛までが当時使えていた小寺政職の居城である
御着城も、一緒に見てまいりました。
鼻を赤くした片岡鶴太郎が扮した「思案の、しどころじゃのぉ~」という
(そして必ず間違える)小寺政職の台詞が耳に残っております。
こちらは、本丸は小さい公園兼姫路市の出張所となっており、
二の丸においては少年野球などにおあつらえ向きの小さな
グラウンドとなっておりました。
主従の逆転とはいえ、姫路城は国宝として現代貨幣換算で
数百億円の費用をかけ大改修を行っている一方、
御着城は公民館のような建屋のみで、あとは土くれのままの
グラウンド、という状況に、まさに盛者必衰の理を目のあたりに
致しました新春の或る日でございました。
そんな、改行が少ないと読者からのリアルなご指摘を頂きました
筆者からは以上です(明日から戻ります)。
(平成27年1月11日 日曜日)