(2019/07/02)参議院議員選挙2019に際して職業政治家の限界を感じざるを得ないと思う点を整理して述べたいと思います(コンサルティングのご紹介)

おはようございます。

2019年7月の日本の政治に関する配信記事です。

参議院議員選挙2019が行われる2019年7月ですが、なんとなく国政選挙というのに盛り上がらず、政治のダイナミズムというのをあまり日本国内では感じない、そのような世の中になってきたと感じる令和元年の夏の陣です。

といいますのも、G20での話題となったのが、通常のコクヨ製のような事務的会議長机に、アメリカ大統領、日本首相、中国国家主席、という3人を(短時間ながら)並べてみたり、習近平国家主席が持っている鼠色のマイボトルがかっこいいだの、内容物はなんだったのか、やっぱり烏龍茶なのかな、といった日本の大衆の発言(ツイートなど)を見る限り、国際政治を日本国がリードしていくなど、当の日本国民も実はつゆほども考えておらず、実は傍観者に徹している、少し尖った発言をしたら最後、政治生命が閉ざされて選挙で落とされてしまうので口をつぐまざるを得ない、という究極の予定調和の同質性社会に我々日本人が生きているのではないかと少なくとも筆者は感じているからです。

となりますのも、選挙に落ちればただの人であり、職業政治家として国会議員をやっている人々がほとんどの中、選挙に落ちるということは即社会的な死を意味します。

本当は、自分の信ずるところを滔々と述べて、そうして支持が得られようが得られまいが超然としているべきなのが政治家としての大切な素養なのですが、国会議員として使える歳費に目が眩み、結局「就職」という観点が抜けない議員の立場からしたら、票が取れなくなるのは自分の議員としての立場を危うくする死活問題でありまして、勢い発言や行動は非常に限定されてしまい、選挙区の地域活動や清掃活動、夏祭りや盆踊り、地域の会合やら消防団活動やらに適当に参加しながら、地元選挙民の歓心を買う、これでしか自身の政治生命、といいますか職業政治家としての道が閉ざされてしまうわけです。

世界は、そんな辺境な選挙区地域ポピュリズムの先をすでに行っております。

大統領としての歳費やそれに伴う収入など一顧だにしない、自身の不動産ビジネスでの巨額の収入があるので、お金を拾いに行かなくて良い米国のトランプ大統領をはじめ、本来の、職業政治家ではない、歳費ゼロでもやりたいと思い自由に発言できる立場の、いわゆるオーナー政治家が増えてきています。

フィリピンのトランプと言われるドゥテルテ同国大統領や、ブラジルのトランプと言って憚らないボルソナーロ同国大統領などは、G20の個別首脳会合で、本家のトランプ大統領と互いの健闘を称え合うありさまです。

そして評価自体は低いですがある意味似た者同士とも言える北朝鮮の第一書記「金正恩」氏などにとってみても、トランプ大統領のツイートでの、「板門店でこれから会おう」などといった、国のオーナー政治家といった態度で接してくる各国代表との、驚きのパフォーマンスに世界が翻弄されていますが、経済界でも企業オーナー同士のトップ会談で大きなディールがまとまったり決裂したりするように、国同士の政治も、そういった少数の、金を拾ってまみれる必要のない、本当に決められる権力者同士の少数の寡頭会談で決まっていくのではないかと思っています。

日本においては、2,000年以上前から確立している(と筆者が勝手に結論づけている)高度に相互牽制で安定した社会構造、統治機構が邪魔をして、そういった一国のオーナー然として振る舞える、言ってみれば昔の織田信長のような主君を戴く、ような歴史的経験がない、むしろそういった存在はえもいわれぬ、なんとも言い難い雰囲気と同質圧力によって、巧妙に排除されてきたとも言えるわけです。

ですので、織田信長も殺されてしまいました。

しかも、彼が実は羽柴秀吉よりはるかにその知見と先見を頼りにしていた一番の与力、最も重きを置いていた(ゆえに辛くも当たった)明智光秀に殺されてしまうという悲しい事件が起こるわけです。

また、日本国における最高の権威対象として、連綿と続く天皇家がありますが、こちらも、君臨すれども直接統治はなさらない、というのが天皇家自体を存続させる最も有効な手段であることは二千年前から日本人はわかっていたようで、権力を掌握し、ことさらそれを実地に実行しようとする天皇が現れたならば、全力でそれを廃位するように動いた、そのような形跡も日本史のそこここに残っているわけです。

例えば、自力で政治を司り、自ら親政を行おうと欲した天皇で一番有名なのが、かの後醍醐天皇だと筆者は思いますが、その彼の願望が招いたのが、日本国を二分する、南北朝の争いであったことは論を待ちません。

足利尊氏がいくら気に入らない、楠木正成を引き立てたい、ということであっても、天皇たるもの、実際に政治を司るものはそれはそれとしてある意味妥協し、そうして自らはその上の権威に立つ、そして政治が悪くなれば執行者の全責任であり天皇家は無答責、というのが日本史を読み解く上での基本的なルールだと思うのですが、後醍醐天皇はそれを破り、自らの子供である皇子たちを、将軍として戦の先頭に立たせ、吉野に三種の神器を持って立てこもり、ここから全国に綸旨を発して、天下に号令しちゃったわけです。

自身は天下人の上の存在であるにもかかわらず、です。

これは立派な領空侵犯だと、当時の日本人は思い、それゆえにこれだけの混乱が起こったのだと思うのです。

北朝が、南朝の正当な権威を取り戻して合一が完了するまで、また百年かかってしまったのです。

日本史最大の、仕組み上の危機といって良いでしょう。

この危機に比べれば、明治維新も国体が守られるかの瀬戸際であった太平洋戦争の敗戦も、実は程度としては大したことない、というのが筆者の偽らざる判断となります。

天皇家を分かつなどとんでもない、掟破りの所業だと、当時の人々も思ったことでしょう。

そうして、百年にもわたる、南北朝の争乱が続くことになったわけです。

ですので、日本史においては、一人に権力を集中させ、カエサルだのロシア帝国のツアーリやカール大帝、といった、神職と世俗権力を一手に引き受けた国家の王、というのは登場しないように、巧妙に図られた国づくりがすでにされていて、その体制をもって2,000年以上続いてきた、このように読み解くのが正しいと思っています。

そうですので、明治の世になり近代政治体制を取り入れる際にも、米国の大統領制ではなく、イギリスの王室の下に組織される議院内閣制をモデルに憲法制度を整えました。

全て、日本の国の形を守りたい、という日本人の心境を色濃く反映した、ある意味「形」から入っているわけです。

フランス革命で王室がギロチンに消えた、そのような野蛮な国の制度である共和制や大統領制を取ることのアレルギーがあったものと推察します。

さて、話を元に戻しますが、このような日本の国の、古くからの「型」において、衆議院や参議院を構成する議員に必要な資質は、やはり高邁な思想や知恵ということになり、日本国憲法第1章にも定める天皇を補佐し輔弼し、適切なプロセスを経て内閣総理大臣を選び、内閣を組織させ議会はそれを監視しながら適切に事を予定調和的に進めていくということが求められているのです。

これが、国家として断絶なく2,000年以上続いてこれた、日本国という国の運営の知恵なのです。

よって、議員歳費のために選挙に無知な大衆が候補者として群がるのは本来でない、というのであれば、いっそのこと議員歳費など無くしてしまえば良いと思うのです。

議員定数の削減や行政機構のスリム化という掛け声だけで、ほとんどそれが進まないのは、当の議員や行政官自らが、お金を拾わないと生きていけない境遇にいるからといえ、別の本業で立派に身を立てているそのような人こそが、高級官僚職や議員の地位に立つべきなのです。

そうすれば、落ちるから自分の言いたいことも言えなくなる、ということもなくなり、国民の一般意思の選択肢も増えるのではないかと思います。

ここまで書いてきて、個人的にこの先の議論のやり取りをさせてもらいたい、という方のために、個人コンサルティングのような形で、一ヶ月6,000円(税込)という形で、個別にコーチングや相談に乗る顧問業のようなものを始めてみようと思います。

オンラインの英会話教室のようなものでしょうか。

これは、よくあるアルファ・ブロガーやオピニオンリーダーがNOTEやメルマガを通じて発信するものを「月額有料」で購読してもらいたいというものではありません。

むしろ、かの吉田松陰が開いた松下村塾のように、教える側も教えられる側もなく、共に学ぼうという姿勢で、いただく費用は実費のようなものとして考えています。

ただし、1日平日500円のコーヒー二杯分で、営業のやり方から金融不動産の知識、国際経済に政治歴史、教育研修に企業統治や企業経営と多岐にわたる知的やり取りの旅にお連れできることは請け合います。

スポーツ選手や芸術家には、キャリアの初期から一線級の選手になっても、様々なコーチングのサポートが着くのが普通です。

それなのに、多岐にわたる社会人として渡っていく職業人としての「プロ」のみなさんにとって、コーチやメンターとなる存在の選択肢は、同じ会社の先輩や経営者、同僚、家族といった非常に狭い中に限られているのが現状です。

そういった、人生の指針になるカウンセリングになるようなこともあるでしょう。

それも、こうあるべきという成功体験をインターネットから拾って押し付けるのではなく、こちらも具体的事例によって学ばせていただく、学習する、自己啓発の方向性を確認する、というような体験にできれば最高です。

人材教育、会社経営、モチベーション維持や高校受験、大学受験、資格試験といった目標に向かった適切なコーチとしても、普遍的に通用する「目標設定」のやり方とそれに向かった習慣としての継続した努力を続けるための「心構え」を軸に、筆者の数多い失敗経験を含めて個別にお伝えできることは多いと思います。

社会人、社会人の一線を引退された方、それからこれから社会に出ようとされている学生や中高生も広く対象になると思います。

まあ、言ってみれば非常にやり取りの頻度の高い、文通相手のようなものだとご理解ください。

このようなご興味のある方、個別で電子メールやフェイスブックのメッセージでお問い合わせください。

コーチングという固いものではなく、なんとなく悩みがあるといった悩み相談でも結構です。

秘密は厳守いたします。

ご安心ください。

それでは、本日は長くなりましたが、この辺で。

こちらからの意見表明とお知らせは以上です。

(2019年7月2日 火曜日)

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