昭和という時代を、教えてあげます

昭和天皇とマッカーサーの会談

昭和が〜とか言ってる若い諸君、今は平成も過ぎ令和の御代になっているから、昭和というとそんな古いとかダサいとか、思っちゃってるんじゃないのかな〜?

いえいえ、いいんですよ。もちろんそういう面もありますから。ブラック満載ですから。

だけど、今そんなことを言い放っているそこのあなたも、これ書いてるわたしだって、生きていられるのは、このお方、昭和天皇のおかげさまですよ、という短い話をしておきますね。

目ん玉ひん剥いて、聞いてくださいね〜。

日本国憲法はどうしてできたか

日本国憲法について考える、という中学生の子供向けのゴールデンウィークの宿題が出ました。こういうの、どうせ憲法の三原則の基本的人権の尊重、平和主義、国民主権、みたいな通り一遍の嘘八百な薄くてぺらい話になるので、どうせなら、ということで話しておきました。

昭和20年(1945年)9月27日、先々帝の昭和天皇は連合軍占領軍総司令官のダグラス・マッカーサーのもとを訪れ、会見しました。その前の同年8月15日に、玉音放送によって日本の敗戦と無条件降伏が日本国民に知らされ、戦争は終わりました。第二次世界大戦は、ここに終結し、日本は、日本国として戦った大東亜戦争(太平洋戦争はあくまで歴史学上の通称です)もまた終わったのです。天皇の命によって。

マッカーサーは、昭和天皇に会うまで、敗戦国の指導者、それも2,000年の歴史を持つ最高指導者がどういった人物なのか、非常に興味を持っていました。そして、自分の命は助けてくれと助命の嘆願があると思っていたのです。昭和20年9月27日午前、昭和天皇はアメリカ大使公邸に到着され、マッカーサーと記念撮影を行います。その写真が当時の全日本国民に衝撃を与えた上の写真です。

会見は2人とアメリカ側の副官や通訳だけで行われたので、公式の記録はありません。

しかし、同席したマッカーサーの副官は以下のように回顧しています。

天皇陛下は、敗戦に至った責任は私一人にある。天皇の名で大いに奮って戦ったものの敗れてしまった文武百官及び国民を思い、どうか私の一身はどうなろうとも構わないから、日本国民をどうか宜しく頼む、とおっしゃったのです。マッカーサー元帥は驚き、そして感動しました。

かつて、敗れた国の元首が、このように国民を助けてやってほしいなどと述べた例を知らない。一身を捨てて国民を助けよとは、この天皇こそ、日本国の最高の紳士であり、この天皇なくば、日本国民は占領軍のいうことなど何もきかないであろうと認識を改めたのです。会見は小一時間に及び、感動したマッカーサーは天皇陛下を玄関まで見送り、最大限の好意と厚意を示したのです。

その後まもなく、それまでの大日本帝国憲法にかわり日本国憲法が公布、施行されます。この憲法の施行日が5月3日であり、この日を憲法記念日としました。

さて、この日本国憲法ですが、最初の条文の第一条から第八条まで、「天皇」について示しているものなのです。

有名な平和主義は第九条、そして国民の権利としての人権、それから国家機構の建前である国民主権があとのほうに続くのです。これは、日本国が天皇とともにあることの何よりの証拠なのです。昭和天皇より平成天皇(上皇)、そして令和の今上天皇(きんじょうてんのう)と続く、126代にも及ぶ、世界で最も長く続く、世界で唯一「エンペラー」の称号で呼ばれるその地位を正しく理解した、当時の占領軍と日本政府の営みを、今の日本国民も正しく学んで欲しいと思います。

以上、私の父が、父の父や祖父、祖母から聞いた話を書きました。

合わせて、4月29日は昭和の日。昭和天皇のお誕生日です。

ゴールデンウィーク~とか言って浮かれるのも大いに結構ですが、4月29日とか5月3日とか、日本国にそういう祝日がどうしてあるのか、それがどういう意味で自分たちの今の命につながっているか、少し考えるのも良いと思います。

以上

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