2019年12月27日
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調和 |
2014年5月の人生に関する配信記事です。
成長について話をしたいと思います。
成長を目的とすることについて個々人の課題として考えることには同意します。
人間やはり新しいことを経験したり失敗したりすることを通じて個人として人生をどう生きるかということについて深く考えることが必要だと思うからです。
その意味で個々人の成長というキーワードは極めて有益だと思います。
しかしながら、一転して社会全体の構造において「成長する」ということだけを掲げた時に、どうしても胡散臭いものを感じてしまうのです。
GDPの量的成長こそ成長と同一視し、とにかくGDPに換算できるものであれば何でも取引構造に組み込めという考え方をとれば、介護も家事も子育てもすべて貨幣経済における取引に換算しなくてはならなくなります。
朝起きて夫婦のどちらかが朝食を作ったらその片方が「対価を(消費税付きで)支払う」、保育園におばあちゃんが子どもを送ったり迎えに行く場合、本来の保護者である夫婦からお迎え料を徴収するというというような世の中が殺伐としているように見えるのではないかということは、かなりの方々の同意を得ることができることだと思っています。
何でも「成長」カテゴリに入れてしまえば済む話ではないはずです。
要はバランスで、成長といったファクター以外にも安全とか安心とかやり甲斐とか生きがいといったいろいろな多様な価値観があることを素直に認め、それらをどのようにバランスさせ調和させていくのが大切ではないかと思っています。
ともあれ多様な価値観を勉強しない言い訳に使いそうな筆者からは以上です。
(平成26年5月28日 最終更新:平成28年5月28日 土曜日)