城郭の石垣建築にみる旧い技術が優れることがあるという事例について
![]() |
野面積みの石垣の例 |
おはようございます。
2013年12月の記事です。
日本の城郭建築において基礎となる石垣積みの技術は非常に大切です。
江戸時代に近くなっていくと石を採石場から切り出してから、平地に真四角の用地に壮大な城郭を建築するようになりますが、その時代には既に城郭は要塞としての役割というよりも為政者の権威の拠り所としての意味付けのほうが大きくなり、実際に城主が通常住まうのも天守閣ではなくその下の本丸御殿といった平屋の建物になってきます。
その時代の天守閣は居住用というより倉庫としての用途くらいになってしまいます。
少々幻滅する話ではあります。
詳しい城郭構造は想像に任せるしかないのですが、記録された文献によれば信長がここに実際に居住していたことは明らかになっています。
しかし何層にもわたる高層建築物に、エレベータもなく階段のみで住むというのは、城主も楽ではないということになります。
後世においては切込み接ぎといって切り出した石を隙間なく積んでいく技法に代わり、我々の今よく知る城郭の多くはこの方式でのものになっています。
しかし、切り込み継ぎでできた石垣は、中に雨水がたまって孕み出しという石が外に浮き出てくる現象に悩まされ、定期的な手入れが必要になってしまいます。
その点、野面積みの石垣は、雨水も隙間から適度に排出することができるため、何百年の風雪に耐えて現代までその遺構が残っています。