プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
問い
資本主義において「顧客をどれくらい幸せにできたかどうか」ってのは「顧客がどれくらいお金を払ってくれたかどうか」と同義になっていないか。
「あまり儲からないけど、顧客が幸せになった」とか「めっちゃ儲かったけど、ほぼ顧客に売りつけただけ」とか評価できてるんだろうか。
回答
ガチで論じてみますと、そんな顧客のことなんか、わかるわけないっすね。私の長いくだらない話を面白いと数時間聞きたいという変なお客もいれば、1秒ももたないというまともな人もいるので、そのようなことは、お客側が決めたら良いと思っています。その意味では、資本主義の先を行っている発想かもしれません。現にもう給与はいらないから、自由にさせてくれよ(=副業認めて、変なことやらかして会社に迷惑かけてもそれで結構、ということにしてよ)と思っている自分がおりますねえ。
質問者レベルの探究学習者には当然既知のものだと思いますが、マックス・ウェーバーの営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考である、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、を読み返してみることをおすすめします。マックス・ヴェーバー(1864‐1920)が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の出発点を画す書です。ありていにいえば、マックス・ウェーバー、こいつヤバい、天才です。