(2017/05/25)会社や組織がきちんと回ると回り回って個人の労働者も豊かになるという仕組み
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ソヴィエトの国旗(星と鎌とハンマー) |
おはようございます。
2017年5月の後半、思う通りに書いてみるシリーズ記事です。
明らかに通常に比し長くなります(本文字数3,800字超)ので、お察しください。
日本における新卒一斉就職による4月のフレッシャーズの状況も一段落し、そうして毎日の通勤電車のひとときの混乱もだいぶおさまりつつある季節ですが、そもそも会社に勤めるということの仕組みの長所を考えてみたいと思います。
いわゆる産業革命において、労働生産性を飛躍的に高めた結果、その担い手としての資本家というものが発生し始めました。
そうして、その原点に近いところにいたイギリスや、海を渡ったアメリカにおいては、そうした資本家の横暴を適度に抑え、その仕組みを労働者側にも適切に還元するような仕組みで社会を再構築するような革命が比較的ゆっくりと行われました。
ここでの産業革命の担い手は、いわゆる都市部の中小自営業者や、地方の農場主およびその子弟といった勢力が中心でした。
彼らは、もともと貧乏な小作や農民であった場合も多く、そこから這い上がり、かつ家業としての事業を営むためにかつての自らのような境遇にあるところの労働者を従業員や委託先として雇っていたという状況から、貧乏な人たちを豊かにするには、一時金をばらまくのではダメで、起業家自体を増やしてビジネスの総量を多くし盛んにして、そして労働力以外に売るものを持たない人々の雇用の不安を解消して待遇(賃金)もよくしていくしかないと現実的に考えました。
健全な労働市場の伸長の上に、健全な金融投資市場が育つというまともかつ穏健な考え方で、利益の一部を内部留保し、適切な税金を国家に支払い、そしてさらにその残りから将来の設備投資などに資金を再投下して、単位労働あたりの生産性を高めるという方法を地道にとりました。
そうすると、だんだんと労働生産性があがり、労働者も高度な職人として、比較優位の賃金が保障されたわけです。
資本家層が登場する前に資本家層を打倒する革命が起こってしまった
しかしながら、ここでそもそも健全な資本家層が育つ前に革命を迎えてしまった少々不幸な国々が現れました。
典型的なのがまだ産業革命のとば口にも来ていなかったロシア及びその周辺国でありますが、彼らは兎にも角にも威勢良く王政を打倒し、皇帝を吊るし首にしたあと、急速な富の再分配を行ったのです。
しかしながら、企業や産業は、そこに生まれ続ける利潤や利益の一部を内部留保し、設備投資や労働装備に回してこそ息が長く続くものです。
その大切な将来の再投資の種銭をすべて根こそぎ資本家(の卵)から巻き上げ、労働者革命と称してとにかく平等に分配すべく強力な共産国家による巻き上げをおこなったとあっては、今後まともに事業を展開しようとする気がなくなるのは仕方がないところだったのかもしれません。
共産主義革命政権下においては、資本家は労働者階級から搾取するのみの存在で、打倒されるべき存在と規定されました。
もちろんそうした一面もあるかもしれませんが、より構造的には、資本を回して雇用や賃金を増やしていくためには、資本家がもつ企業が受け取った利益の一部を内部留保して、設備投資などに回して、労働生産性を高めるしかありません。
そのため、資本家は、労働者の生み出した付加価値の一部を利益として確保して、税金を払った後の残りを内部留保して、設備投資などにあてるのですが、これが一見すると、労働者からの搾取に見えるわけです。
実際には、設備投資などによって労働生産性が高まり、労働者の賃上げや待遇改善に繋がっていき、新産業も生まれてGDPが向上する効用のほうが大きいのですが、それは先の話になるので、種銭レベルで目の前を目の前だけ見ると搾取に見えるのかもしれません。
さらに、そうした資本家層にも、公開株式市場などを通じて、労働者階級や庶民も些少ながら株式投資や年金資産の投入などで入り込むことが可能になり、さらに資本家と労働者という対立構造に意味がなくなってきました。
一見最もな対立構造に議論を単純化することが往々にして行われる
しかしながら、一見労働者のこうした劣位に置かれている立場を殊更に言い立て、そこを一点突破して自らの政治的主張とリンクするように運動する層もいまして、そうした勢力による「資本家による搾取」理論が、一定の理論的支柱を得てこうした下からの共産革命を成功させた一因であろうかと思います。
この点を突いて、例えば共産主義を標榜すると称する人々などが、資本家による搾取だーなどと無茶を言うことがあるので、ここは、(全てを)真に受けないようにしないといけないと思うのです。
特に、大学を出る、大学に入学するといった一定の知識層に対しては、社会での現実を知る前に、こうした価値観を一気に植え付けるという勧誘手法が、未だに残っているようです(筆者が大学に進んだ時にはさらに大々的に運動されており、白昼堂々と授業を妨害しての宣伝活動が活発でありました。教育を受ける自由の重大な侵害なのですが)。
世の中に貧しい人や困ってる人がいるのは、いつの時代もそうでありまして(筆者なんか本当にモテないので困っています)、それは比較的豊かな家庭に生まれて大学などの高等教育機関に学ばせてもらっている自らのせいでは全くないのですが、例えばそこに、極端な運動家によって「お前はプチブルだ、総括しろ、反省しろ」と言い続けられた場合、一見純粋な人ほど、自分が豊かな家庭に生まれたこと自体が悪ではなかったのか、などと勘違いしてしまう場合もあるのです。
そうして、その意味の少ない「贖罪」行為としてこうした活動に身を投じるという場合もあるのです。
わが国でも連合赤軍のあさま山荘事件や、よど号ハイジャック事件など、一見大変滑稽で困った社会事件が起こったのも、厳然たる歴史的事実です。
時代を遡ると、良家の子弟ほど、こうした社会の矛盾を一気に解決する劇薬を求めました。
あるものは共産主義革命に憧れ、あるものは宗教上の神秘主義に浸り、またあるものは極右思想による世界制覇と民族浄化を夢見ました。
没落貴族の子弟などは特に、自らの没落した理由を社会の歪みのせいにしたがり、さらにそうした不満を左翼右翼限らず極端な革命活動に絡め取られたりする事例が歴史上たくさんあったわけです。
壊したものは元に戻らない
もちろん、社会をぶっ壊したところで、その再建にはさらに時間と手間がかかりますので、今の社会を少しずつよくした方が良いことはわかりきっていると思うのですが、なぜか急進的かつ極端な人たちは、まず壊すことの甘美さに抗し得ないようなのです。
そんな没落層が、さらにもともと貧しく資本の蓄積のない社会層及び農村部の農奴制が色濃く残る極寒のロシアの地で、初めての共産主義革命を実現したことは、非常に示唆的です。
社会主義革命論を説いたドイツの哲学者である巨人マルクスは、資本主義社会の最終段階が壊れるその次に社会主義革命がやってきて、真の共産主義社会がやってくるであろうと説いたのですが、実際は、産業革命が起こる前の農奴制社会から一気に共産党独裁の巨大社会ができあがってしまったというわけです。
しかるに、1920年台当時のロシア及びその周辺国には、そもそも、そこまで資本主義的な産業の芽がなかったこともあり、さしたる抵抗もなく、共産主義革命と称した壮大な社会実験は一定の成功を収め、その後は計画経済と称した国家による統制経済による高度に統制された経済秩序による発展が志向されることになりました。
壮大な社会実証実験
ソヴィエト社会主義共和国連邦におけるこうした強力な中央集権主義による上からの経済高度化については最初の段階では非常な成功を収めたものの、やはり全てを中央の共産党幹部が机上で決めるということに無理があったのか、ソヴィエトの歴史は約70年で幕を閉じます。
具体的には、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における首都をモスクワとする長大な国家でした。
実に15のソヴィエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソヴィエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもありました。
こうした歴史の話を振り返って思いますことは、やはり社会の不満とかそういうものを、社会のせいだとか自分自身のせいだとか極端に思い込もうとすることの大きな副作用として、社会全体を不安の渦に叩き込む恐れがあるものだということです。
巨額な賠償金や劣位に置かれて民族的な誇りを傷つけられた純粋なドイツ国民5,000万人が、ほぼ全てヒトラーを支持し、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法体制を自らが選んだナチスという政党を通じて「否定」して、全ての権限(大統領と首相)を一人に集中させて国家の力を最大限発揮することを「求めた」のです。
大戦時を犠牲を凌ぐ数千万人ともいえる犠牲者を強いながら、それでもソヴィエトの連邦国家群は、スターリンという絶対権力者に全ての権限を捧げたのです。
何事も、全ての責任を他人にゆだねることや、うまくいかないことを全て外の何かや自分自身のせいにしないようにすると、手痛いしっぺ返しを食らうというのは学びにしたいと思います。
そういうことでとにかく話も考えも、覚悟も仕事も顔も何もかも中途半端な筆者からの今日の放談は以上です。
(2017年5月25日 木曜日)
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