希望の党という国政政党があった話

今は昔、希望の党という政党ありけり

今は昔、といっても、2017年9月のことですから現在(2021年7月)からすればたった4年弱前のことにすぎませんが、国政政党に希望の党という政党がありました。一体何だったんだとおもわれる国民が大多数でしょうが、それだけ、ブームというものは熱しやすく冷めやすいものだという教訓を今の我々有権者に教えてくれるのにこれだけよい題材もないでしょう。

わずか7ヶ月で消滅した希望の党に、国民は何の希望を見たのか、記しておきます。

国民民主党という政党が、2021年7月現在、かろうじて存続していますが、このメンバーの殆どは、2017年の衆院選では小池東京都知事率いる「希望の党」から出馬していました。その希望の党は、2018年通常国会の真っ最中に消滅しました。

2017年総選挙での惨敗を受け創業者の東京都知事、小池百合子氏が党首から退く一方、党内の混乱が続いた結果、5月に民進党と合流して国民民主党に移行し、希望の党は解党となったのです。

いわゆる東京都知事としての人気のピークにあった「小池旋風」に乗り、一時は「再び政権交代が実現するかもしれない」とまでいわれた結党からわずか7か月で消滅した希望の党とは、一体なんだったのでしょう。

希望に満ちた結党から、失望を経ての解党に至るまで、あっという間でしたが、所詮ブームはブーム、チューリップバブルの頃から人間の本質は変わらないということなのかも知れません。

次は立憲民主党が消滅か

2017年9月、希望の党の結党会見が華々しく行われ、当時の民進党の前原代表が希望の党への「合流」を決めました。

2009年総選挙で308議席を獲得、自民党を下野させた当時の民主党、民進党系議員は刻々と変化する状況に戸惑いつつも「ある意味でワクワクしていた」といいます。

なんとか、2012年総選挙で大敗し、その後ずっと「安倍1強」に追い込まれていた党勢の打破、悲願の政権交代が叶うかもしれないという高揚感があったというのです。本当に、根拠のないブームが大好きですね我々は。

しかし結果は大敗、希望の党は政権交代どころか、排除したはずの弱小候補者たちの寄り合い所帯に過ぎない立憲民主党の後塵を拝し、野党第一党にすらなれなかった。

選挙を終え、53人となった希望の党の議員はこぞって失敗の理由づけを始め、小池知事の「排除」発言、結党までの準備不足、前原元民進党代表の判断ミス…などなど、お家芸の内部分裂を経て、結党から7ヶ月で解党に至るのです。

「こんなことなら排除されて立憲民主党にいったほうがよかった」などとぼやいても後の祭りというものです。

その、生き残ったはずの立憲民主党の方が、次回行われる予定の2021年衆議院議員選挙で、消滅の憂き目に遭うのが見えるようです。

こちらからは以上です。