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調所笑左衛門(ずしょしょうざえもん) |
おはようございます。
2016年2月のビルメン王(@shinya_ueda)によります歴史上最大規模の借金踏み倒しの記事です。
あまりに巨額の借金は結局返されることはないという歴史の教訓として、幕末薩摩藩の調所広郷(笑左衛門)が、藩の借金500万両を無利子で250年分割で返済すると言って強制的に証文を書かせたことが有名です。
幕末に近い江戸後期のことで、正確には天保6(1835)年から薩摩藩は金を借りている京や大阪の商人達に「古い証文を確認して書き改めるから証文を提出してくれ」と命じます。
そして証文が提出されると、調所達はこれらを回収して通帳形式に書き改めるという一見合理的かつ従順な作業を行う一方で、「薩摩藩の借金はすべて一律に250年の年払い無利子で返済するであろう」と一方的に通告したのです。
こうして、現在の世界においても例を見ない250年完全割賦払いという事実上の借金棒引き策が行われたのです。
当時の薩摩藩の年間予算が15万両程度といいますから、この借金の額はとにかく想像を超えています。
昨今、日本国債の残高が多いのどうのという話がありますが、先輩たちははるかに上を行っていたのですね。
薩摩藩の名誉のために付記しますと、正確には、この後、明治4(1872)年までは、毎年2万両はきちんと支払ったようです。
その後の廃藩置県において、鹿児島県にその債務が引き継がれたという記録は残念ながらありませんので、そこでかかる債務もなくなったということになるのでしょうか。
いえ、250年払いの返済終了は2085年となりますので、まだ薩摩藩の債務を支払わんと名乗り出る奇特な人や組織が現れ、そして「両」という現在の通貨の単位とは違った単位ですがそれでも何らかの換算レートで計算すればまだまだ間に合うのです。
京や大坂の商人たちの末裔の方で、まだ鹿児島藩への貸金返済がなされていない方、是非名乗り出てもらえればと思います。
利子は残念ながら含みませんが元本は返済されるはずなのです。
そんな調所広郷も、マイナス金利の今を見たら、腰を抜かすかもしれません。
消えた年金というわけではなく、そもそも年金積み立てが少ない筆者からは以上です。
(平成28年2月2日 火曜日)
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