鬼滅の刃を読んでないのに論じてみる

鬼滅を読んだことない人が最終回だけ読んで偉そうに感想を述べるという記事です

もはや社会現象と言っても過言ではない段階の人気漫画『鬼滅の刃』(以下 鬼滅)が、2020年5月18日発売の『週刊少年ジャンプ』24号にて最終回を迎えてずいぶん経ちます。

いまだ、その鉄板コンテンツを見たこともない筆者が、最終回だけ見て偉そうに語ってみるシリーズです。

マンガは、最初の一話目と、最終回である程度わかる、という説を唱えています(仮)。

リアルに連載されているところから読んでいた漫画は、ドラゴンボールにしろジョジョにしろ男塾にしろ北斗の拳にしろキン肉マンにしろ、それはそれは話すことが多すぎて紙面が足りなくなりますので、むしろ情報を制限した方がこのような記事は書きやすいのです。特に筆者のようなオタクにとっては。

さて、鬼滅が毎週月曜日の生きる糧だったというような人も多いと思いますが、その最終回が、あまりにも本編と関係ない蛇足だったと憤っている方も多いと聞いたので、さっと読んでみました。マンガ喫茶で。

たしかに、作品世界にどっぷりつかった人にとっては、ブチ切れていそうな感想も見られるのですが、そもそも、本編をほとんど知らない(うまい!という口癖の人が電車でド派手に死ぬ映画?電車男??くらいの認識)人である筆者としては、ここまで否定されると、逆に作者に意図を感じずにはいられません。

それは、作品の個人個人のキャラクターに対する大きな愛情です。

完全に、最終回を、蛇足の現代の転生ものにしてしまった結果、鬼滅の凄惨な世界観とはまた別の世界で、幸せにのびのびと自由にふるまう、それぞれのキャラクターを書くことができたわけです。

完全に物語としては、最終回全話の無残様率いる鬼の軍団が、鬼殺隊によって完全に滅せられたところから一気にワープして現代となって、ぶっ飛んでいます。

その、舞台はまさかの現代で、恐らくは炭治郎とカナヲの子孫と思しき兄弟と、善逸と禰豆子の子孫と思しき姉弟が主な登場人物になっています。そして、彼らがそれぞれの家から、通っている同じ高校にたどり着くまでの、その道中で、先週までに登場していたり、すでに散っていった人たちと外見や名前が酷似した人々がチラっと登場するという最終回です。

たとえば、映画で数百回死んだのを見たというくらい、2020年の日本を席巻した煉獄さんに酷似した顔の、桃寿郎という名の少年が登場します。

そんな、キャラクターとしては酷似しているけれども物語の設定とは自由になった人々が、現代で理想的な関係で幸せそうに暮らしている感じなのです。

いわゆる、「転生」的なそういう描写ですが、これは、キャラクターを無惨にも殺したり倒されたりしなければならない、作家としての宿命から、少しだけ解放されて、自分の愛するキャラクターを描き切って最終回としたい、という吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんとジャンプ編集部の思いなのでしょう。

あまりにも濃い、そして命と時間と精神を削り続けた、4年と3カ月の週刊連載。作者の吾峠呼世晴先生と、担当した編集者の叫びなのでしょう。

わざわざ最後に本編の最終回に加えて、1回増やしてこの回を描いたのは、やはり吾峠先生がどうしても描きたかったからと思います。

キャラクターへの愛がつのるのは仕方がなく、それでも、物語の設定上、殺さないといけない、無惨な振る舞いをさせなければならない、煉獄にまみれて死ななければならない、といった設定と戦うのは、作家の性です。

それでも、本当に魅力的なキャラクターでも、遠慮なく殺すことができる、それがプロの作家というものです。

筆者はここで、どんな魅力的なキャラクターでも作品の世界観と設定のためならためらわずに殺すことができる作家、皆殺し作家として名高い田中芳樹先生を上げたいと思います。田中先生の代表作の一つ、銀河英雄伝説は本編10巻、外伝6巻ですが、その本編の2巻途中で、この世界における最重要キャラクターであるジークフリード・キルヒアイスは死にます。あっという間です。最高のイケメン。文武両道、性格も最高のキルヒアイスは、テロの凶刃に倒れます。

さらに、この物語で一番大衆に人気のある、筆者田中芳樹先生の生まれ変わりか理想かと思われる、ヤン・ウェンリーも8巻途中で同じくテロに倒れて死にます。

こちらも、大会戦での戦死とかではない、あまりにもあっけない死に方です。そして、死んだ人は絶対に生き返りませんし、空からテレパシーで話し込んだりもしないのです。残された二流以下の残りの登場人物たちは、それぞれ悩みながら生きていくしかありません。最後10巻では、落日編と称して皇帝ラインハルトも弱冠25歳で、皇帝病とかいう意味不明な病気で亡くなります。絶対に「続・銀英伝」とか書かないぞ、と宣言するに等しい、作者としての矜持。

作品の世界観への責任感と、作品のキャラクターへの限りない愛情。

時に自らの推しのキャラが死んで「作者は鬼かよ」などと思ったにわかファンであった自らを恥じるものです。

吾峠呼世晴先生の今後に幸あれ。

繰り返しますが、鬼滅の刃(本編)はいまだ全く読んでいない筆者からは以上です。