VHSというビデオテープレコーダーが昭和の時代にはあったという話
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VHSビデオデッキ |
おはようございます。
2014年2月のビルメン王(@shinya_ueda)提供の昭和ガジェットに関する配信記事です。
VHSというものがどの家庭にもあった時代がありました。
Video Home Systemの略です。
今や映像はブルーレイやDVD、プライムビデオなどで見るのが主流となりましたが(若い人はそれしか知らないでしょうが)、その前、約20年以上前はこのVHSというやつでテレビの録画番組も見たし映画のレンタルもしていたのです。
一定以上の年の方には、カメラのフィルムと並んで大変身近な製品でありました。
さてこのVHSですが、誕生当初はソニーが開発した「ベータマックス」というビデオ規格の後塵を拝していました。
ベータマックスは当時のソニーの技術の粋を集めた画期的な製品で、既に業務用ビデオの世界でかなりのシェアを有していました。
VHS方式を開発した業界8位、弱小準大手と呼ばれた日本ビクターは、ここでVHS規格の全面無料開示という挙に出ます。
そうして業界大手の松下電器産業をVHS陣営の盟主に取り込み、ソニー連合との全面ビデオ戦争に向かっていくのです。
まさに東軍の徳川家康に対する西軍の各大名の包囲網の完成に似たものがあります。
史実での関ヶ原では西軍の包囲網は東軍の調略による小早川軍の寝返りが功を奏し、また西軍総大将に擬せられた毛利軍が全力で家康軍に当たらなかった(洞ヶ峠を決め込んだ)こともあり西軍は打ち破られますが、このVHS-ベータマックスのビデオ戦争においては、西軍(日本ビクターと松下電器産業、シャープなど)が当初優勢な東軍(ソニーを盟主に東芝やNECなど)を包囲し追い込み、ついに市場から撤退させ全面勝利を収めたのです。
日本ビクターの、自身の特許の無料供出という一見自社の利益を度外視したに見える「損して得とれ」戦術と、日本全国津々浦々に販売網(ナショナルショップ)を持つ家電の盟主松下電器産業を三顧の礼で迎え入れたファミリー戦略が、画質と性能の多くで優るベータマックス勢を足掛け10年にわたる競合の末に凌駕したのです。
弱いものにも諦めなければ光は当たる、そんな昔話を飲み屋でやるのが大好きな筆者からは以上です。
(平成26年2月26日 最終更新:平成28年2月26日(金))
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